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October 29, 2007

池上本門寺

本門寺にやってきました。私は大井町の生まれなので、池上のあたりは子供の頃から何度か足を運んだことがあり、この地域の空気には親しみがあります。

品川区から大田区あたりの国道1号線周辺は、土地に起伏があって坂道や階段が数多く点在します。面白いことに、本門寺の周辺はそういった連続した起伏から独立して、ひとつの山のように存在しているのです。そして、一帯は緑が深く、本門寺の関連施設や墓地、公園などと一体化して、人々の魂の故郷のような安心感を感じさせるところです。

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参道から総門を抜けると、此経難持坂(しきょうなんじざか)という長い石段が待っています。駐車場はこの上にあるので、車で来場すると石段を上がることなく本堂へ行けてしまうのですが、お参りするならやはりこの総門から入ることをお勧めします。
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石段を上がる手前の左手に、実に庭の手入れの行き届いた小さなお堂があったので、気になって寄ってみました。そこは理境院といって、日蓮宗のお寺です。
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96段の石段を上り終え、振り返ると、見晴らしの良い清々しい景色が広がります。そして先へ進むと正面に仁王門、その手前右手には長栄堂があります。長栄堂はこのお寺の守護神を奉安しているそうですが、その内側の装飾がとても賑々しくて、参詣者をとても明るい気持にさせてくれるところでした。
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仁王門をくぐると、いよいよ大堂が真正面に見えてきます。本門寺は昭和20年に空襲による甚大な被害を受けており、大堂もその際に消失した施設のひとつです。現在の大堂は昭和39年に再建されたものになりますが、縦に長い大きな瓦屋根を持った大変立派な建築です。でも、私が最も素晴らしいと思ったのは、背景に空しか見えないということです。台地の頂上に位置するとはいえ、高層ビルが乱立する昨今、この東京の真ん中で本堂が空一色のみを背にできるとは、奇跡に近いような気すらします。この立地と向きを考えた人の先見力の素晴らしさか、それとも偶然なのか、どちらなんでしょうね。いつまでも、この景観が保たれるといいですね。
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大堂を正面に見て右手の方向に進んでいくと、朱塗りの五重塔があります。この五重塔は戦火を免れた創建当初(1608年)の建築で、重要文化財になっています。私が見たのは夕方の西日が差す時間帯だったのですが、五重塔に向かって歩いていくと、木々の枝越しに上部三層が夕日に照らされ、その朱色がこの世のものとは思えないような異質な魅力を浮かび上がらせていました。その色彩に私は思わず吸い込まれそうになりました。

このあと、私はこの山の西側の風景を見ようと思い、大坊本行寺の方へ歩いて行きました。しばらくして気が付くと、もう薄暗くて人気がほんとんどない墓地の中。普通なら、そんな寂しい場所にはあまりいたくないと思うのでしょうが、そこはなぜか安心していられるのでした。

この地は日蓮聖人が最後を迎えた霊跡で、本門寺は日蓮宗の大本山です。このお寺の山が一帯となって訪れる人々を温かく迎えてくれる、そんな空気をとても感じるお寺でした。

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October 26, 2007

高価なネクタイ

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最近、あまりスーツを着ていないので、ネクタイを買うことはほとんどなかったのですが、明日はスーツが着たいと思ったので、新しいのを1本買ってきました。

前の会社のときは毎日ネクタイを着用していたので、だいたい1本5,000円程度のものをデパートで買っていたのですが、その中で1本だけ10,000円近いものを持っていて、それが自分の中で一番高価なネクタイでした(貰い物を除く)。今回もそれを買ったところと同じお店へ行ったのですが、さらに高い1万数千円の品が目に止まり、思い切って買ってしまいました。ちなみにそのお店は日本橋三越のバーバリーなんですが、そこで買った2本のネクタイは、普段の着用にはもったいないので、イベント事があったときに使いたいと思います。

せっかくなので、明日はスーツ以外、全身新品を着用します。

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October 23, 2007

大仏

鎌倉の大仏様を見たのは、おそらく小学校の遠足以来ではないかと思います。そのときは輪郭だけ見てただ大きいと思っただけでしたが、大人になって改めて見てみると、全く違った感慨がありました。

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横須賀線北鎌倉駅から鎌倉方面へ歩き、踏切の手前、浄智寺の脇から山道へ。この先は源氏山公園や大仏へ抜けるハイキングコースになっています。私は山に入り、ハイペースでどんどん進んでいきました。これは来月に出場する江東シーサイドマラソンに向けたミニ・キャンプでもあるのです。

北鎌倉から入るコースはやや険しいので、行く人は動きやすい服装と靴は必須です。特に下り道では、雨が降ったら段差がなくなりそうな自然の階段なんかが多数あります。
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平日の昼下がりでしたからほとんど人はいませんでしたが、たまに誰かとすれ違うと「こんにちは」と声を掛け合います。山へ行くと、なぜかみんなよく挨拶しますよね。小さなことですけど、なんとなく嬉しくなります。
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途中で見晴らしのよいところがあったので、足を止めて景色を楽しんでいたのですが、紅葉している樹木を発見。いよいよ秋も本番ですね。
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源氏山を抜け、大仏方面へ向かってひたすら歩き続けました。北鎌倉から歩き始めて40~50分くらい経ったでしょうか。山道が終わり、大仏のところまで下りてきました。このペースは、ガイド誌などに載っている所要時間の1.5~2倍の速さです。
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大仏の見学は200円です。中に入ると、真正面に大仏様が座っておられましたので、近づいてじっくり拝見することにしました。すると、そのお顔は私を引きつけて離さない独特な表情をされていたのです。眠っているかのような穏やかさを感じつつも、全てを見透かしているようなクールさも同居していて、ひとことで「こんな表情でした」と書きたいのですが、落としどころがないのです。それでいて、どっちつかずというわけではなく、均衡状態を保っていると私は感じるのです。それをズバリ「こうでした」と言葉で書けそうなのですが、あいにく私の知っている日本語では表現できません(悔しい!)。帰ってから調べたのですが、この大仏様、鎌倉時代に造立されたようなのですが、いつ、誰が、どういう経緯で作ったのか、資料が少ないために詳しいことが未だにわからないというのです。そんなミステリアスな話を聞くと、あの表情がさらに魅力的に思えてきます。

大仏をあとにした私は、長谷寺の前を過ぎて、海岸へ出ました。砂浜では学校帰りの学生がたくさん遊んでいたのですが、授業が終わって鎌倉の海へ繰り出せるなんて羨ましい高校生活です。きっと、大人になったら素敵な思い出になっていることでしょう。
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このあと、鎌倉駅まで歩いて帰ったのですが、北鎌倉を出発して鎌倉駅までの所要時間は約2時間30分。帰りの電車の中では熟睡してしまったのですが、その眠りの深さはハイキングの密度の濃さを物語っていました。

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赤福食べたい

ここ最近、当サイトへのアクセス数が異常に増加しているので中身を確認してみたところ、ほとんどが半年くらい前に書いた赤福に関する記事へのアクセスでした。

赤福 (2007.4.29)
東京でシーズン最後の赤福 (2007.5.6)

店頭から商品が消えたといっても、東京では元々売っていませんからあまり実感がありません。でも、ニュースの映像で名古屋駅の売店で赤福が並んでいない様子を見たのですが、とても寂しいというか残念な気持になりました。

無期限営業停止ということですから、今のところいつ復活するかもわからないんですよね。夏が終わり、東京でも百貨店の特別販売へ行けば買えるようになるはずだったので楽しみにしていたのですが、こんなことになってしまうとは思いもよりませんでした。消費者を裏切ることをしたのですから仕方がありませんが、でも、私にとって赤福が大好物なことに変わりはありません。

早く帰ってきてくれ、赤福。解禁日を待っています。

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October 22, 2007

高橋由美子コンサートツアー'94 “Tenderly”

1994年、夏。その年の3月に大学を卒業した私は、7月から就職することになったので、正に社会人なりたてのホヤホヤでした。そんな私が、会社帰りに行ったあるコンサートの記録。13年前に書いたものですが、今、読んでも結構面白かったので、そのまま掲載します。高橋由美子ファン以外は読んでもわからないと思いますが…。

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高橋由美子さんは雨女だという。私には意外なことに思えた。それは、私が北海道へ旅行に行ったときに、車で彼女のアルバムをかけると、曇った天気がことごとく晴れたということがあったからだ。それ以来、私は由美子さんに対する感謝の気持から、彼女を呼ぶ場合には敬称をつけることにしている。感謝の気持といえば、高橋由美子さんのコンサートへ行ったのも、そのためである。

9月11日、中野サンプラザでのコンサート当日、天気は雨だった。実を言うと、私はこのコンサートに行くことが楽しみな反面、抵抗もあった。高橋由美子さんといえば、「アイドル界の最終兵器」と呼ばれるトップ・スターである。そんな彼女のコンサートに行くということは、傍から見れば、単に「高橋由美子を見に行く」としか映らないであろう。まして、「歌を聴きに行く」などと言ってみたところで、誰も聞いちゃいない。確かに、私は根っからのミーハーである。しかし、私がコンサートへ行く目的はあくまでも音楽鑑賞である。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、その当たり前の概念が、アイドル歌手のコンサートの場合は通用しない。私が嫌うのはそういった部分で、この日のコンサートに行くことに抵抗を感じたという理由も、そこにある。この日の雨は、私のそんな気持に拍車をかけていた。だが、目的はどうであろうと、行きたいという気持に変わりはなく、その辺は自分自身の心の中で割り切るしかなかった。私は、アイドルであろうと、コンサートを見るという行為は、文化の鑑賞であると捉えている。高橋由美子さんのステージがそれに値するものかどうかは、これから見てみなければ分からないが、彼女の持つ歌唱力や表現力からすれば、期待は大である。誰に何と言われようと、これから私は、高橋由美子さんのコンサートという“文化”に触れるのである。(以下、敬称略)

6時40分、場内が暗くなり、ステージの白い幕が上へ上がり始めた。同時に、リズム楽器のみの演奏が始まり、ステージ上には、4人の踊り子の影が横一列になって現れた。あのうちのどれかが高橋由美子なのか。それとも、4人ともバック・コーラスの人か。全員が、カーニバルのときのような衣装を身に纏っている。やがて、1曲目のイントロに入り、4人のうちの、赤と白の衣装の女の子が、どうやら歌い始めるらしかった。高橋由美子のコンサートを見慣れた人、あるいは前列にいる人ならば、どれが彼女であるかをすぐに見抜いたことだろう。しかし、我々(2人で来ているので)の席は2階の後から2番目。ここさえ経験すれば、あとはどこの席に行っても「近い」と感じることができるような、遠い場所である。私の目が高橋由美子の存在を認めたのは、1曲目の「Step by Step」が始まってからだった。

それから、6曲目まではシングル曲の応酬で、ノリで攻める「お祭りコンサート」といった感じであった。1階のお客さんは総立ちで、盛り上がりは加速の一途をたどっていたが、そんな中で私は、由美子の歌の上手さ、特に、声のハリの良さを見逃してはいなかった。

6曲目が終わると、MCが入った。何を喋ったかはよく覚えていないが、そこで盛り上がりは一段落し、場内は落ちついた雰囲気に包まれていった。話の中身も、そのような空気を作り出すような真面目な内容だったと思う。そんなムードを受けて、7曲目は「友達でいいから」。流れるような、実に配慮の行き届いた構成である。「友達でいいから」では、大きなコーヒーカップが登場し、由美子はそれの上で歌った。「友達でいいから」が終わると、由美子は一旦ステージから姿を消し、照明は消された。少し経って、ステージの正面は一面の星空となり、左側の高い段の上には、バイオリン奏者の女性が現れた。彼女が演奏を始めると、白いドレスに身を包んだ高橋由美子嬢が、ステージ下段の中央に再登場した。曲は「ETUDE」。聞こえてくるのは、バイオリンとピアノの音だけである。そして、歌が始まる。声を発する観客は一人もいない。静寂に包まれる場内。由美子の抑揚の効いた歌声が響き渡る。このときの彼女は、先程までの、アイドル・高橋由美子では決してなかった。歌声だけでなく、歌を表現している彼女の全てが本当に素晴らしかった。「ETUDE」が終わると、続いて、彼女自身の作詞による「A Song For You」。「ETUDE」同様、美しい高音、澄んだ歌声で、観客を魅了した。私は、これまでに16回、いろんな人のコンサートを見てきたが、このシーンは、その中の3本の指に入れたくなるくらい感動的なものだった。この2曲を歌い終えた由美子の表情には、安堵の色が伺えた。場内からは、割れんばかりの拍手が起こっていた。

その後は、アルバム「Tenderly」からの曲が続いた。まずは「天使か悪魔」と「8分休符」。どちらも、是非生で聴きたかった曲である。「天使か悪魔」が始まると、さっきの雰囲気とはがらりと変わり、“ムード音楽”といったような大人っぽいステージとなっていった。1回のコンサートで、これだけ多彩な展開を見たというのは、ちょっと他に記憶がない。だいたい、アイドル歌手のコンサートにバイオリン奏者が登場するなんて、聞いたことがない。それに、アイドル歌手があんなに歌が上手くていいのだろうか。私は、自分にとって前代未聞のこのステージに、感動を通り越えて、驚きの連続だった。

アルバム「Tenderly」の曲はさらに続き、「週末が晴れたなら」「Kissする前に」を歌った。「週末が晴れたなら」はストリングスの音が印象的だった。そして、「Kissする前に」は一番聴きたかった曲だったので、非常に嬉しかった。この曲はリズムが大好きなのだが、ドラムスのラインがアルバムと少し違っていたので残念だった。さて、このあたりからコンサートはもう大詰め。序盤のような盛り上がりが、さらに勢いを増して復活してきていた。そして、高橋由美子は、再び、アイドル・高橋由美子に戻っていた。曲の方はシングルが3曲続き、観客は狂喜爛漫といったすごい盛り上がりを見せていた。それにしても、私は、高橋由美子がこんなに元気のよい人だったとは全く知らなかった。序盤と終盤は踊りっぱなしで、決して2,000人のお客さんのパワーにひけを取っていなかった。それどころか、高橋由美子が2,000人にパワーを与えているようなものだった。若干二十歳の、あの小さな女の子の、どこにそのようなパワーがあるのか。とにかく圧巻だった。

いよいよ、最後の曲となった。17曲目は「yell」。最後にふさわしい、なかなか感動的な曲である。歌が終わると、由美子は観客に向かってお礼を言って、ステージから消えてしまった。8時10分頃のことだった。

照明は少し明るくなっていた。拍手は止まない。「アンコール」の大合唱。やがて、「アンコール」から「由美子、由美子」のコールに変わり、場内に響き渡った。そして、再び照明が消された。曲のイントロが始まる。「Good Love」だ。この曲は私も大好きで、アンコールで聴けるとは幸せである。少女のような格好をした由美子が再登場、観客は大喜びである。どのコンサートでも、アンコールというのは形式的になっているが、それでもやっぱり嬉しいものだ。「Good Love」が終わると、「そんなのムリ!」。私が高橋由美子の歌を聴き始めたきっかけの曲である。そして、由美子は最後の挨拶をして、本当にラストの曲を歌った。聴いたことのない曲だったが、秋を感じさせる、少し切ない歌だった。おそらく、次に出るシングルと思われる。全20曲のフルバージョンを歌い終えると、由美子は客席に向って手を振った。演奏はまだ続いていたが、ステージの幕が静かに降りてきて、もうすぐ由美子の姿を消そうとしていた。1時間45分の夢のようなひとときは、こうして終わりを迎えた。すぐに席を立つには、あまりにもステージの余韻が強すぎた。特に、あの2曲のバラードを聴いたときのことを思い出すと、今でも体にしびれが走る。私は、この日のコンサートの感動は一生忘れないと思う。そして、あの歌はいつまでも心の中に響き続けると思う、きっと。

とにかく素晴らしかった、というのが、私が言葉にできる感想である。歌声、演奏、構成もさることながら、何と言っても高橋由美子の表現力だろう。高橋由美子にとって、歌手業というのは副業である、という印象を私は受ける。では、本業は何か。それは、女優業である。これは、本人の話を聞いていてもそんな感じがする。何が言いたいのかというと、ステージ上での高橋由美子は、女優・高橋由美子が歌手・高橋由美子を演じているという気がしてならない。あのステージは、歌手の域を完全に出ているものであったと思う。もちろん、コンサートなので歌を歌っただけで、芝居をしたわけではない。だが、あのステージで見せた、まるで別人が何人も出てきたかのような多彩な展開は、歌手の顔しか持たない人には到底できない芸当だ。やはり、高橋由美子は、最終的には女優なのか。彼女は、「アイドルはビジネスです」と言い切る。アイドルはビジネス、それは、歌手業は副業ということになるのでは。あれだけの歌唱力を有していながら、それは実にもったいない話だと思う。それに、高橋由美子の書く詞は非常に良い作品で、作詞の才能もある。しかし、ここで私がつべこべ言っても仕方がないので、今後も高橋由美子の音楽活動に注目していようと思う。

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October 20, 2007

写真館

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近鉄奈良線生駒市駅付近。このポスターは東京では見ないですよね。

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畑から上る白い煙とその匂いというのは、日本の故郷という感じがします。奈良県大和郡山市付近。

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近鉄大阪線室生口大野駅。室生寺の入口にふさわしい、山の中にある素朴な駅なのですが、名古屋や伊勢、または大阪方面の特急が頻繁に行き交います。もちろん、止まりませんが…。

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ちょっとぼけてますけど、色が綺麗なので載せちゃいます。帰路の湾岸長島PAです(伊勢湾岸自動車道)。この時点で18時を過ぎていたと思いますが、このあと東京へ向かいました。

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伊賀市

先週、三重県の伊賀市に宿泊しました。宿泊するだけの予定でしたが、せっかくなので市内を少し歩いてみました。

まずはこの町のシンボル、伊賀上野城へ向かったのですが、わざと少し離れた小田町というところに車を止め、そこから城山へ向かって歩くことにしました。小田町は城から見て北西の方角にあり、瓦屋根の家が軒を連ねる小道が印象的で、歴史を感じさせる落ち着いたところでした。
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途中、道路にマンホールがあったのですが、忍者の絵が書いてあったので、思わず写真を撮ってしまいました。さすがは忍者の町。
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小田町側から民家の間を抜けて城山に入ると、10分程度で城に辿り着きました。でも、短時間で上れる割には結構見晴らしが良くて、のどかで緑豊かな伊賀の街並みを一望できます。現在の伊賀上野城は昭和10年に再建されたものだそうです。
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ホテルにあった観光ガイドの中に、京都の嵯峨野に似た竹林が紹介されていたので、そこへ寄ってみることにしました。ただ、小田町まではわかっているのですが、それ以上詳しい場所が載っていなかったので、あとは勘にまかせて探してみることにしました。まずは、城の西側に位置する上野高校の隣に竹が見えたので、そちらへ向かって歩いて行きました。しかし、山を下りながら竹林の横を通り過ぎたのですが、残念ながら写真の風景とは違います。かといって、引き返して別の場所を探し回ることは考えていなかったので、このままなければ諦めようと思いました。私はさらに道を下り、国道の下をくぐって先へ進んでいきました。すると、新たな竹林が見えてきたので、少しずつ近づいていくと、どうやら大当たりのようでした。ここは観光スポットというほどの扱いはされない場所なので、地図にも明示されておらず、地元のガイド誌にだけ小さく載っているような場所なのですが、私にはどうもこういうところを見つけると行きたくなってしまう癖があるんですよね。伊勢神宮のときもそうだったのですが…。
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October 18, 2007

室生寺

女人高野。女人禁制であった高野山に対し、同じ真言宗で女性の参詣が許された室生寺は、そう呼ばれ親しまれています。なので、私はこの寺を訪れるにあたり、女性的な優しく柔らかな雰囲気を勝手に想像していたのですが、それは全く反対だったのです。

奈良県宇陀市、近鉄大阪線と並行する国道165号線の室生寺入口を南へ折れると、室生川沿いに山深い方へ向かって蛇行した道が続いていきます。とてもその先に名のあるお寺があるとは思えませんでしたが、暫くすると土産物屋や参詣客用の駐車場などが見えてきて、室生寺付近に辿り着いたことに気付かされました。私は駐車場に車を止め、そこで案内されたとおりに寺へ向かって歩いて行きました。
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道路と並行して室生川が流れているのですが、そこにかかる太鼓橋というアーチ型の橋を渡ると、その正面が表門です。長谷寺へ向かう参道は比較的賑やかなので、歩きながら段々お寺が近づいてくる雰囲気がわかるのですが、室生寺の場合は表門の前まできてようやくそのことに気付かされます。五木寛之の「百寺巡礼」では、「写真では大きく見えるけど実際はミニチュアのように可愛らしい」と室生寺の五重塔が紹介されていたので、寺の規模全体もコンパクトなのだと思っていたのですが、門の前に立っただけでそれとは違う立派な寺だということがわかりました。涼しげな川のせせらぎを背に、表門の向こうに目をやると、それとは対照的に厳格な世界が待っているようでした。

参詣者は仁王門から中に入り、鎧坂を上がっていきます。この鎧坂の階段を上がりながら、私は自分がここに持ち込んだ先入観が決定的に間違っていたと認識しました。階段の脇の山の斜面には、何本もの杉の木が天に向かって高くそびえたっているのです。その迫力は、まだ寺に入って間もないこの場所に緊張感を与えるのに十分でした。女性も参詣できるからといって緩い空気の寺であってはならない、そんな自戒の意気込みが伝わってくるようでした。

階段を上り終えると、そこには金堂があり、釈迦如来立像や十一面観音像など数々の像が並んでいたので、よく見たかったのですが、かなり奥まった位置だったので遠くを眺めるようでした。
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さらに階段を上がっていくと、真上に五重塔が迫ります。この下からの角度が、小さいけど大きく見えるアングルで、たいそう立派な建造物として目に映ります。屋外に立っている五重塔では日本一小さいそうです。
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五重塔のまわりは一番人が集まっていて、ここに至るまでの凛とした空気より少し穏やかに思えました。しかし、この先にはさらに厳しい道のりが続いていくのです。
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先を見やると、木立に挟まれた石段が延々と続いています。頂上の奥の院を目指して700段の階段を上るのです。他の寺を訪れたときに学んだのですが、長い石段はお参りの前に心を静めるために一段ずつ上っていくものだそうです。最初は駆け上がるように進み始めた私でしたが、それを思い出し、速度を緩め一段ずつ着実に石段を上がっていきました。石段は長い上に急で、最初の鎧坂よりもさらなる厳しさを訪れた者に課しているようでした。交通が発達した現在でさえも、山の中にあるこの地を訪れるのはいささか困難です。まして、昔の人、特に女性が室生寺を参詣するのはどんなに大変だったことでしょう。しかも、寺に入ってからも試練が待ち受けていようとは。私は止まることなく最後まで歩き続けましたが、途中で息が上がってしまいました。そんなとき、この石段が続く意味を私は考えていました。それは一歩一歩の確実な積み重ねの大切さか、それとも苦難を乗り越えた先に待っているものの素晴らしさか。石段の終わりが見えかけたとき、清水寺のような舞台造りの位牌堂が目の前に現れました。
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見事な造りだと感心していたそのとき、私はあることに気づきました。石段の最終局面は、各段が下を向いているのです。参詣者の疲労が頂点なはずのこの場所で、なぜわざわざ石段を滑りやすい向きに設置しているのか私は疑問に思いました。そして同時に、足を踏み外すことのないよう、これまでで一番注意を払いながら歩みを続けたのでした。野球の中継を見ていると、よく解説の人が「勝ったと思ったときが一番危ない」などということを言いますが、それと同じで、最後まで気を抜くなという戒めなのだと私は汲み取りました。

奥の院に辿り着くと、そこには陽の光が降り注いで、明るく見晴らしの良い場所でした。帰り、石段を下りる途中で、すれ違った年配の女性が「こんにちは」と声を掛けてきたので、「この先の石段は下を向いているから気を付けて下さい」と早速教えてあげました。60歳は過ぎているように見えましたので、あの急な石段を上るのは大変しんどそうでした。

寺を出て振り返ってみると、室生寺は木々に覆われ山と一体化していて、外からみたときに寺だとはわかりにくいと感じます。これまで数々の寺を見てきましたが、このようにひっそりと寺を構え、それでいて厳粛な空気を漂わせている寺は初めてです。先ほども述べましたが、これは「女性も参詣できるからといって緩い空気の寺であってはならない」、加えて「寺や参詣者を守らなければならない」ためであると私は思いました。

この寺を外から見たとき、室生寺を堀のように囲んで流れる室生川の穏やかな流れと、その向こう側の張り詰めた空気が相成って、内に秘めた力というのを強く感じます。室生寺は女性だけのための寺というわけではありませんが、寺全体が女性の強さを象徴しているようにも思えます。室生寺を訪れたことは、この旅をとても印象的なものにしてくれました。

室生寺を出て太鼓橋を渡ると、橋本屋という休憩処があったので、気になって寄ってみました。何が気になったかというと、室生川沿いに座敷が配置されていたので、川のせせらぎを聞きながら休憩ができるということです。早速、窓側を陣取って、川の方へ身を寄せて外を眺めてみました。夕方の一日が終わりかけようとしている良い時間でした。川が流れる音は時間の流れる音のようでもありました。夢中で食べた天ぷらそばとぜんざいは幸せなくらい美味しかったです。さあ、このあとは東京まで600キロの帰路が待っています。
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October 16, 2007

運転三昧

私が車で出掛けた中で、今まで最も遠かった場所は浜名湖です。それは4、5年前だったと思いますが、友人たちを乗せていたという責任感もあり、えらく疲れたのを覚えています。そのとき、遠征は浜名湖が限界だと思ったのですが、このたび、自己最長記録を更新したのです。

車を買い替えて1か月。シーマは高速で走らないと面白くないし、それも中途半端な距離では物足りないので、名古屋以西に行ってみようと思い立ち、日月で走ってきました。

10月14日の午前3時、自宅を出発。午前4時までに東名高速の東京ICをETCで通過すれば、そこから終点までの料金が3割引になるのです。そして予定通り、3時50分に東京ICを通過し、深夜割引適用を確保しました。このあとは何時に出ても構わないので、休みながらゆっくり進むことにしました。

午前5時。1回目の休憩は日本平。ここにはミニストップがあったので、カリカリまんを食べて栄養補給。まだ薄暗かったです。ここまで1時間というのはちょっとペース早いですね。
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シーマは一度100キロ以上まで速度を上げてしまえば、そのあとはアクセルをほんの軽く踏んでいるだけで速度を維持してくれます。しかも、滑るように静かに走るのでご機嫌です。この点が以前に乗っていたセフィーロと大きく異なる点で、セフィーロの場合はある程度アクセルを踏み込んだままにしないと100キロ以上の速度は維持できません。

6時30分、浜名湖に到着。朝食にうな丼を食べて、そのあとは眠ることにしました。起きたら9時で、サンデーモーニングの「渇!あっぱれ!」のコーナーを見逃してしまいました。
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浜名湖まできたら名古屋までは早かったです。伊勢湾ルートで亀山ICで出たので、名古屋の市街地は通っていないのですが、10時過ぎにはその付近を通過しました。そうすると、東京から名古屋までで約6時間になりますが、休憩と睡眠で3時間くらい使ってますから、実際に走ったのは3時間くらいですね。夜中は早いな。

このあと、亀山で休憩した私は、奈良の長谷寺へ向かったのでした。

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October 11, 2007

サーカス「ブティック」

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またレコードを買ってしまいました。サーカス初のベスト・アルバム「ブティック」です。オリジナル・アルバムの1st+2ndを買うか、ベストを買うか迷ったのですが、手始めにベストということにしました。

サーカスの曲は、子供の頃によく車でかかっていたのを聴いていました。それは父が買ってきたカセットだったのですが、どうやらそれは「ブティック」だったようです。今回、レコードを聴いてみて、ほとんど聴いたことがあって、曲順もだいたい記憶のとおりだったので…。

大人になってから聴いてみると、やはり新たな発見がたくさんありますね。まさかバリー・マニロウの「恋はマジック」をカヴァーしていたとは。「アメリカン・フィーリング」の編曲が坂本龍一ということも20歳を過ぎてから知りましたし。レコード会社がALFAですから、作家、演奏者もその周辺のミュージシャンなのでしょうね。

歌も演奏も安心して聴ける、当時のニュミュージックの王道です。

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PHONOイコライザー

最近、ステレオでレコードを再生しているときの左チャンネルの音の出が悪かったので、昨日、状態を詳しく調べてみたら原因はプレーヤーでなくアンプの方でした。おそらくPHONO端子の接触不良でしょう。

プレーヤーにはPHONOイコライザーを内蔵していないため、アンプの他の端子に差し替えるという手は使えません。さらに、もう一台の真空管アンプにはPHONO端子がないので、考えられる手としては、①アンプを修理する、②PHONOイコライザー内蔵プレーヤーを買ってくる、③単品PHONOイコライザーを買ってくるの3択となりました。

答えはすぐに出ました。プレーヤーは年内にハイグレードな製品に買い替えようと思っていて、それにはPHONOイコライザーは内蔵されていないので、いずれPHONOイコライザーを買わなければいけなくなることから、自然に③を選択することになりました。

結構、マニアックな品だと思っていたので、錦糸町のヨドバシカメラに置いているかどうか不安でしたが、意外にも3種類も揃っていました。YAMAHAのものが6,000円ちょっと、ONKYOのものが8,000円ちょっと、あともうひとつ2万円台のものがあったのですが、縦置きにできることと、前面に電源スイッチがあること、そして価格がお手頃であることから、ONKYOのPE-155に決めました。そして、それを使って初めて真空管アンプにレコードプレーヤーを接続することにしたのです。

今までは、スピーカー切替器(EXCEL SOUNDのAVS-40)を逆結させてアンプ切替器として使用し、アンプはONKYOのintegra A-917FとトライオードのTri-TRV-34SEを併用していました。最初は音質の違いを楽しむ目的でそうしていたのですが、PHONOイコライザーを内蔵しているのはA-917Fの方だけなので、レコードを聴くときはA-917F、CDを聴くときはTRV-34SEという使い分けになっていきました。しかし、PHONOイコライザーを買ったことにより全てのソースを真空管アンプで鳴らせるようになったので、A-917Fは外すことにしました。音質のことを考えると、切替器はやはりなくすべきなんですよね。

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早速、真空管アンプでレコードの音を鳴らしてみたのですが、意外な結果となりました。音のクォーリティは上がったと思うのですが、おとなしくなってしまった気がするのです。プレーヤーの安物感が今までよりあからさまになってしまった感じもします。トランジスタアンプでは、荒削りながらもレコードの音がダイレクトに耳に響いてきて、そんなところが凄く好きでした。やはり、これはアンプに見合うプレーヤーの購入を急がねば!

さて、ONKYOのPHONOイコライザーですが、背面から電源が取れるので、プレーヤーの電源をそこから取ることができます。デザインがなかなか良いです。

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October 10, 2007

新井貴浩選手のFAについて思う

広島の新井貴浩内野手がFA権を取得したことにより、その動向が注目されています。本人は「悩んでいる」と語っているそうですが、地元出身の新井選手が他球団へ流出するということは、果たしてあり得るのでしょうか。

「地元出身だから」という理由だけで、残留へ向けた安心材料にならないことはファン自身が一番よく知っています。なぜならば、金本選手は地元出身なのに移籍してしまったからです。私は、今後の可能性はフィフティ・フィフティだと思っていますし、動向は本人の自由なので、もし移籍してしまってもそれは仕方のないことだと納得せざるを得ません。ただ、ひとつ言えることは、毎年毎年、オフになると主力選手がFAで抜けるかもしれないという話題にファンはさらされ、「いい加減、疲れた」ということです。

昨年の黒田投手残留のニュースに関してはとても嬉しく思いましたが、そのこと自体が注目の的になってしまって、今シーズンの投球をファンはどれだけ真剣に見守っていたのかというと、ちょっと疑問です。私はもっと純粋にプレーが見たいし、それ以外のことでオフに余計な神経を使って疲れたくありません。

新井選手はこれまでFAに関してはほとんど興味のないような発言をしてきたと思いますが、ここにきて移籍の可能性を示唆しています。これは個人的な感想ですけど、結果がどちらに転ぶかは別にしても、「新井選手が残留しないかもしれない」という意思を示したこと自体が私は残念です。私は東京なのですが、プロ野球に関してはずっと広島ファンだし広島が自分の地元だと思っています。だからこそ広島まで試合を見に行くことだってあるのです。新井選手も同じように、そんな「地元」に対する思いは熱く揺るぎない選手だと信じていたので、「出て行くかも」というような素振りは簡単に見せて欲しくなかったです。新井選手の場合は、「カープを去るかもしれない」だけでなく、「故郷を出て行く」という意味を同時に含んでいるということを忘れないで欲しいのです。

まあ、「地元は捨てたくないけど球団が気に入らない」なんていう場合もあるでしょうが、どういう選択をするにしても、ファンに対しては理由を説明して納得させて欲しいと思います。地元出身の4番バッターが2代続いて他球団へ行かれてしまっては、何のためのフランチャイズなのか、何のために今まで応援してきたのか、ファンは自問自答してしまいます。そのうちにファンも球団に対する愛着が薄れ、いずれは野球を見なくなるという悪循環になりはしないでしょうか。前田選手の2000本安打、佐々岡投手の引退試合、チームは低迷していても、球場がお客さんの真っ赤な色に染まり、1選手のためにあたかも優勝したかのような感動的で温かい空気に包まれる、それは同じチームで一筋にプレーしてきたからこそ与えられた選手へのプレゼントです。新井選手にはそんなことも考えてから決断していただければと思います。

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October 06, 2007

おもう(佐々岡真司選手引退試合)

「想う」「懐う」「憶う」「念う」、これらは全て「おもう」と読むそうです。本日、10月6日は「真っ赤におもう日」ということで、広島市民球場での今季最終戦、そして佐々岡真司選手の引退試合となりました。

佐々岡投手といえば、速球と切れの良いスライダーという印象が強いのですが、私は、急速が落ちコントロールで勝負していた晩年の佐々岡投手がとても好きでした。急速はなくても、変化球を自在に操り、ひとりずつ丁寧に打ち取っていくマウンド姿は実に味があって、私はそれが見たいがために佐々岡投手が先発しそうな試合は中継を録画予約していました。

山本昌、工藤、小宮山など、最近は40歳を過ぎても現役で活躍する選手は珍しくありません。技巧派に転身した佐々岡投手も、まだまだやれると思っていたのですが、引退の知らせを聞いたときは「やはりこれまでか…」と私も肩を落としたのでした。ただ、まだ力はあると思っていたので、今日の最終登板は先発完投を目指すくらいの勢いでマウンドに上がって欲しかったのですが、残念ながら9回2死からの登場でした。

試合は10-0でカープがリードという展開で、最後の打者は横浜の村田選手でした。私はテレビで投球を見つめていました。初球、ストレートがアウト寄りに決まりストライク。そのとき、私は現実を目の当たりにしました。球筋がはっきり眼で追えるほどスピードがなかったのです。「これは危ないかも」と思いました。そのあとも思うようにコントロールが効かないようで、カウントを1-3と悪くしてしまいました。そして次の球、おそらくボール球でしたが、村田選手が必死に当てにいったストレートは、レフト方向へぐんぐん伸びていきました。がっくりと肩を落としていたのはレフトを守っていた前田選手。新旧交代の象徴か、ホームランを打たれてしまいました。やはり、球はきていませんでした。引退決意もやむなしと、私も納得することにしました。

申し訳なさそうにベースを1周する村田選手。「完封リレー締め」はなりませんでした。しかし、続く鈴木(尚)選手は三振に打ち取り、佐々岡投手の最後のマウンドは幕を閉じたのでした。試合は真剣勝負ですから、引退試合だからといって相手の選手は手を抜く必要なんてないですし、例え打たれても、広島ファンは横浜の選手を恨みに思ったりはしません。でも、村田選手も鈴木選手も凄く気を使って打席に立っているのがよくわかりました。「情」が垣間見えて、勝負師としては良くないのかもしれませんけど、その思いやりはとても嬉しかったです。

普段、佐々岡選手は口数が少なく、性格はシャイだと聞きます。でも、最後のファンに向けた挨拶では、選手生活18年の間に携わった全ての人たちに対する感謝の気持がよく表われていて、とても素晴らしかったです。そして、何より意外だったのは、横浜の佐伯選手が泣きじゃくっていたことです。さらに村田選手は、グラウンドを一周していた佐々岡選手を、ひとりベンチ前でずっと待っていて、佐々岡選手に寄っていき挨拶をしていました。相手チームの選手たらも愛され、佐々岡選手は選手冥利に尽きますね。そして横浜の選手の皆さんの対応にも私は感動いたしました。

佐々岡選手の思い出といえば、やはり91年の優勝とノービット・ノーランです。いずれもまだCS放送が普及していない頃の出来事でしたから、私はラジオでその瞬間を感じていました。なので、逆に強く印象に残っています。91年以来、カープは優勝していないのですが、その優勝の夢を見させてくれた立役者のひとりは佐々岡選手でした。18年間、お疲れ様でした。また、違う立場でグラウンドに帰ってきてくれることを願って止みません。

明日は古田監督のラスト・ゲームです。

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October 02, 2007

人間ドック 2007

昨日は人間ドック受診のため、東京厚生年金病院へ行ってきました。

受診は約1年ぶりではありますが、その間に2次検診や会社の健康診断等もあり、結構頻繁に検診を受けている気がします。コースは2つあって、バリウムか胃カメラを選択するのですが(それ以外の検査は両コース同じ)、もしバリウム検査でポリープが見つかると、結局2次検診で胃カメラという運びになるので、今年は初めから胃カメラコースを選択しました。

※ 一般には胃カメラの方が検査の精度は高いとされていますが、逆にバリウムの方が発見しやすい異常もあるそうなので、一概にどちらの方が確実とはいえないようです。

胃カメラは2度目でしたが、やはり慣れないというか、苦しかったですね。飲み込んでしまえばあとは楽なんですけど、入るときに何度も吐き出しそうになり、今日は昨年よりも辛かったです。終わってみればたった15分程度の検査なのですが、また来年もやるのかと思うとやっぱり嫌ですね。

昨年の検診では、胃、大腸、皮膚、眼の4項目についてが再検査となり、加えて高血圧に高脂血症との診断もあったりして散々な結果でしたが、この1年間は食生活の改善に取り組んだりしてきたので、昨年より結果は良さそうです。特に体重が79kgから70kgに下がり、体脂肪率も22%から14%になるなど、体質改善の成果が大きく表われました。また、胃カメラ検査でも1箇所だけ小さな炎症があるとのことでしたが、ポリープはなく胃は全体にとても綺麗な表面をしているとのことだったので安心しました(昨年は良性のポリープがあったのですが、ポリープって消えるのでしょうか?)。

昨年の検診以来、眼科の定期検査を受けるよう言われていて次は12月に行くのですが、人間ドックは年に1度でも、結局それに付随する検査等で、年に何度も飯田橋(病院の場所)へ行くハメになっている私です。まあ、その方が安心ですけどね。

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