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May 01, 2008

浄瑠璃寺の春

3月のある土曜日、私は浄瑠璃寺(京都府木津川市)を訪れたくて、近鉄奈良駅からバスに揺られて加茂方面へ向かっていました。

今年の初め、私は奈良、京都のカレンダーを部屋に飾ったのですが、その中の11月、浄瑠璃寺の写真に一目惚れをしたように心を引き寄せられたのです。それは秋の写真で、真っ赤な紅葉の木と真っ黄色な銀杏の木の間から池越しにお寺の本堂を写したものでした。彩の美しさの向こうで、決して大きくはないのですが静かに腰を落ち着けている本堂の存在感が、その風景の均衡感を作り出しているようでした。

浄瑠璃寺へは、バスでお寺の前まで行けるのですが、私はあえて手前の「浄瑠璃寺入口」で降りて、そこから田園風景の中を歩いてみることにしました。

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ガイド誌などには「浄瑠璃寺入口から徒歩40分」と紹介されていましたが、私は歩くのが速いので30分くらいでお寺に着きました。途中、上り坂があるので少々疲れます。

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寒くはありませんでしたが、桜の季節にはまだ早く、境内の木々は未だ寒々しい様相でした。土曜日の昼でしたが人はまばらで、小説に出てきたようなおせっかいな案内少女はとてもいるような感じではありませんでした。私が一番目を見張ったのは本堂で、9体の阿弥陀像が横一列に置かれているのです。しかも、お堂の扉の位置が像の一体一体の位置と対応していて、その一体感は見る人を圧倒します。本堂へは横から入るのですが、戸を開けて整然と並んだ阿弥陀像が目に飛び込んできた瞬間の衝撃は今でも強く印象に残っています。

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本堂を出ると、茶屋でぜんざいを食べながら、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を改めて読んだのでした。

こんな穏やかな休日を過ごしていた私は、まさかこの1週間後に父の通夜を執り行うことになろうとは夢にも思っていませんでした。この翌日の夕方、私は生駒山の宝山寺へ行きました。もう30年近く前のことですが、私の父方の祖父は生駒で亡くなったのです。祖父の墓は市川にあるのですが、なんか生駒にきたら祖父に会えるような気がして、宝山寺で父の病気が少しでも楽になるようにお願いをしました。もう薄暗い時間で、人気も全くなくて、本堂へ向かって一列に延びる灯篭の明かりが、何ともいえない異様な雰囲気に感じました。
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今思えば、このとき父は、灯篭の向こうの天へ召されようと階段を上り始めていたのかもしれません。このとき、そんな暗示に私が気付いていれば、帰ったらすぐに見舞いに行って最後にもう一度会えたのに…。そのことがとても悔やまれます。父は私が旅先から帰った4日後に亡くなりました。私が高校生の頃、父は私に文章が上手だと誉めてくれました。そんな父にこのサイトを一度でいいから読ませてあげたかったです。でも、きっと今頃天国で読んでくれていると信じたいと思います。

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