January 26, 2009
November 03, 2008
August 30, 2008
逃げる飲み会
先週、お好み焼きを食べに行ったのですが、ずっと食べたいと思っていたのに、飲みに走ってしまい2人で1枚しか食べなかったのです。そのため、消化不良というか、悔いが残ってしまい、昨日、リベンジということでもう一度行くことにしたのです。
そろそろ会社を出ようとした19時30分頃、お客さんからサービスを利用できないという苦情の電話が入りました。急いで直して欲しいということで、仕方なく私が訪問することになり、ひとっ走り行ってすぐ帰ってくるくらいのつもりで保守に出発。症状からして、最短なら10分もあれば対応は終わると思っていたので、時間的にお好み焼きへ行くにはまだ十分でした。逆に、「こうなったら絶対に行くぞ」と余計に意思は強固なものになりました。
ところが、障害の原因は機器の故障であることが発覚。しかもお客さん専用に設定が必要な機器なので、会社に電話して現場へ持ってくるよう依頼をかけました。待ち時間を考えると、21時30分くらいまでかかりそうな状況に。お好み焼き屋は22時30分までなので、この時点でお好み焼きは諦め、居酒屋に変更せざるをえなくなりました。それでも、仕事のあとのビールを目標に頑張ろうと気持を立て直し、車の中で機器の到着を待ちました。
21時15分頃、ようやく機器が到着。再びお客さん宅を訪問し、交換作業を行いました。そして祈るような気持で電源を入投入。しかし、うまくいきません…。なので、関係者に電話をかけていろいろ確認した結果、機器交換の場合はさらに待ち時間が必要で、最終的にあと30分ほどかかるとか。なので、車に戻り再び待機。時計はもう22時を回り、今度は食事をして帰れるかどうかといった状況に。時間が経過するにつれ、そのあとの楽しみは徐々にレベルが下がっていきます。
結局、23時前くらいにようやく復旧し、そのあと会社へ戻りました。唯一、よかったのは、お客さんから「ありがとうございました」とお礼を言われたこと。迷惑をかけているのはこちらなのに、一生懸命対応していると、最後は逆に感謝されるということは結構あるのです。苦あれば楽あり。クレーム対応は大変ですが、そういうひとことには精神的に大変救われます。
結局、飲み会も食事も諦めて、解散しておとなしく帰ったのでした。家ではホッピー飲みましたけど。誰か、お好み焼き行こうぜー。
July 28, 2008
あきらめてはいけない
最近、我が広島東洋カープは7連敗を喫し、5割付近を維持してきた勝率は急落してしまいました。
夏場を迎えても、例年に比べれば明らかに安定的な戦いをしていたので、横浜に負け越し、さらにヤクルトに3タテを食らうなど、ファンの誰もが予想をしていなかったことでしょう。もはやこれまで、やはりこれが実力かと、対照的に勝ち星を積み重ねていく巨人を横目に見ながら、私の中には沈滞ムードが広がりました。
さらに一昨日、横浜3連戦の初戦を落とし、最下位のチームを相手に2週連続で負け越してしまうのかと、ダメ押しをされたような気分に陥りました。ところが、昨日は劣勢を跳ね返し、アレックスのサヨナラホームランで見事な逆転勝利。ズルズルと下降の一途を辿りそうなチームの空気に僅かな勇気を与えてくれました。
そして今日、先発の大竹が気合の力投で横浜打線を7回まで1点に抑え、同点で8回を迎えました。まあ、継投で何とかこの先無失点に抑えて、8回に勝ち越し、あるいは9回以降にサヨナラで最後は勝てると思って見ていたののですが、何と走者を2人置いて村田が第29号3ランホームラン。グラブを地面に叩きつけた大竹。これで2週連続横浜戦負け越しがほぼ確定…と思いました。でも、さすが村田もいいスイングだ!
しかし、野球はわからないですね。その裏、四球と内野安打で出した2人のランナーを置いて、今度はアレックスがお返しの同点3ラン。さらに10回2死から、最近ファンからもお荷物的な視線を浴びていたシーボルが、まさかのサヨナラ満塁ホームラン。いやー、ただのサヨナラ打ではなく、満塁ホームランというところにドラマを感じます。
試合展開からして、下手したら3連敗していたかもしれないこの3連戦。結果的には勝ち越すことができ、まだ3位以内も狙える位置を何とか維持しました。ご存知のとおり、今年は広島市民球場ラスト・イヤーです。私もどこかのタイミングで行こうと思っていますが、7連敗したときはその気持すら揺らぎました。でも、クライマックスに出れる出れないはどっちでもいいです。プロ野球は結果が全てとは言いますが、大物選手を獲ってきたり、引き止めたりする財力のない球団が、昨日、今日のようなネバー・ギブ・アップの精神で必死に食い下がる姿は素晴らしいと思います。どんなことも、決してあきらめてはいけないんですね。それは学生時代にずっと胸に秘めていた私の信念。忘れかけていたことを思い出させてくれました。
July 27, 2008
引きこもりな私
明け方にネットで注文したイヤフォンが、早くもその日の夕方に私の手元に届く。早速、絢香の新譜を使ってCDウォークマンで試聴してみると、前に使っていたイヤフォンに比べて大きく音域が広がり、それまで聴こえなかった音までが繊細に再生され、聴き慣れたはずの音楽を新鮮な思いで聴き続ける。
テレビをつけると、CATVのチャンネルを一巡させてみる。最近まで試験勉強をしていたせいか、何気なく見始めたサスペンスドラマやドキュメンタリー番組が妙に面白く感じて、途中で眠ったりするものの最後まで見てしまう。途中、お風呂にも入ったけど、テレビは消さないで、バスタブの中で音だけ聞いている。
お腹が空くと、ネットでココ壱のカレーを頼めば、30分もすると持ってくる。お菓子やパンを買いたいときだけ、外へ出て団地の中のコンビニへ行く。本当はもっと外へ行きたいのだけど、久しぶりに仕事から解放された日は動きたくない。でも、頭の中では明日からのことに考えを巡らせている。
こんな引きこもりな私ですが、まだ救われるのは、音楽に対してもテレビに対してもエモーションを感じれることです。
May 29, 2008
結婚の条件
現在、日本映画専門チャンネルで「スクリーンに咲いた華 麗しの銀幕女優」という特集が組まれているのですが、その中で、昨日放送された「結婚の条件」(1963年 日活)は実に印象的でした。
最初、テレビをつけて目に飛び込んできたのが、見覚えのある2人の俳優でした。暫く記憶を辿って、それが誰なのかを考えてみた結果、浅丘ルリ子と二谷英明だと思って、EPGの情報で答え合わせをしたところ、やはり正解でした。浅丘ルリ子といえば「男はつらいよ」のリリイ、二谷英明は「華麗なる一族」の三雲頭取というイメージが私の中では強く、「結婚の条件」に出演している二人はそれらと比べると大変若かったので、すぐに判断がつきませんでした。
浅丘ルリ子は「麗しの銀幕女優」という言葉が正にぴったりで、清廉かつ可憐な素敵な女性だと思いました。私の中では、浅丘ルリ子はどこか日本人離れした西洋的な顔立ちという印象があったのですが、この映画を見ていると、普通に魅力的な日本女性に映っているので認識が変わりました。そんな彼女を見ていたくて、最後まで作品を見ることにしたのですが、そんな風にスクリーンに引きつける魅力を持った女優さんは現代ではなかなかいないですね。
でも、本作品の魅力はそれだけではなく、内容的には考えさせられるものでした。なかなか結婚に気が向かないでいる主人公のまひる(浅丘ルリ子)は、義兄が妻以外の女性と密会しようとしている現場に踏み込み、二人は別れることに。しかし、まひるはそれがきっかけでその女性と親しくなり、縁談が持ちかけられるも気乗りしない現況を彼女に相談したのです。すると、まひるは「それは義兄を慕う気持があるからではないか」と、心の奥底に潜む自分でも気付いていない本心をずばりと指摘されました。私は、まひる同様、予想外な指摘に目が覚める思いがしましたが、「そうきたか…」と、展開の意外性に面白さを感じて嬉しくなりました。
再放送があるので、もう一回、今度は最初から見たいと思います。
January 07, 2008
December 29, 2007
忘年会ツアー'07
今年は忘年会が多くて、10回も行ってしまいました(今日もあるのですが)。最近、私は家ではお酒を飲まないので、毎日のようにアルコールを吸収するというのは1年以上なかったことです。
12月6日(金) 20:30~4:00
★開幕戦 横浜 他社忘年会3次会まで
12月12日(水) 19:30~24:00
第2戦 東京 会社関係忘年会2次会まで
12月14日(金) 20:00~22:00
第3戦 横浜 個人忘年会1次会のみ
12月17日(月) 19:30~1:00
第4戦 東京 会社関係忘年会2次会まで
12月19日(水) 19:30~21:30
第5戦 東京 会社の忘年会1次会のみ
12月21日(金) 19:30~24:00
第6戦 東京 個人忘年会3次会まで
12月26日(水) 20:00~3:00
★第7戦 横浜 個人忘年会2次会まで
12月27日(木) 19:30~23:30
第8戦 東京 会社関係忘年会1次会のみ
12月28日(金) 18:00~20:00
第9戦 東京 納会1次会のみ
12月29日(土) 19:30~
第10戦 東京 個人忘年会
↓
★第11戦 横浜へ移動して会社関係飲み会へ合流
★は朝帰り。
年始は控えよう…。
December 23, 2007
年賀状
今年は珍しく早めに年賀状を書き上げました。
ここ数年、年末は仕事のことで頭が一杯で、なかなか年賀状に取り掛かる気がしなかったのですが、最近はネット上で全て注文ができてしまうので、今年もそれを利用して早めにオーダーを済ませました。私は3年連続でヨドバシカメラのHPからフジフィルムのプリントを利用していますが、自宅プリンタで作成するのと違って質感が増しますから、仕上がりには毎年満足しています。オーダー方法は、絵柄を選び、自分の名前や住所を登録するだけで、自分で撮った写真を入れることも可能です。
私は宛名を筆で手書きするのですが、今日はその作業を完了させました。明日の朝に投函する予定なので、多分、元旦の到着には間に合ってくれると思います(何年ぶりだろう…)。
August 11, 2007
July 29, 2007
奇跡のコンタクト
先日、近所のスーパーで買い物をしていたとき、右目のコンタクトがずれた感じがしました。
しかし、よく調べてみると、ずれたのではなく、外れたようでした。すぐに周辺を見回したのですが、なかなか見つかりません。いつもそうなんですが、外でコンタクトを落としてしまうと、恥ずかしくて堂々と探しにくいのです。探している姿が結構あやしいんですよね。
とはいっても、新しく買うと10,000円以上するし、注文する手間と時間もかかります。簡単に諦めるわけにはいきません。私は30分くらいコンタクトが落ちていそうな場所をぐるぐると巡回しました。落としたのだから、必ずどこかにあるはずです。そう思うとなかなか引き上げる気にはなれなかったのですが、いくら探してもコンタクトは見つかりません。だんだん時間も惜しくなってきたので、わずかな望みだけを残して、私は撤退することにしました。
わずかな望み、それは、持っていた手提げの紙袋でした。コンタクトが落ちたとき、もし、偶然その中に入っていてくれれば、コンタクトは無事なはずです。でも、コンタクト歴は20年近い私ですが、落としたときに手荷物がナイスキャッチしたなどという経験は一度もありませんから、本当に一分の望みです。
少々不安でしたが、私は片目コンタクトでバイクに乗り家路につきました。家に着くと、私は紙袋を開き、慎重に中身を探りました。すると、何と、紙袋の隅にコンタクトがあったのです!!いやー、このときは自分に追い風を感じましたね(小せーぇ)。でも、もうひとつ偶然が重なったことがあって、それは、荷物の中身が買った「服」だったことです。これが硬い荷物だったら、紛失は免れても、中で破損していたかもしれませんからね。
July 28, 2007
平成19年新潟県中越沖地震義援金
昨日、郵便局へ行って新潟県中越沖地震の義援金を送る手続をしてきました。本当はもっと早くやりたかったのですが、なかなか昼間に郵便局へ行くことができなくて、この日になってしまいました。
阪神大震災、前回の新潟地震、そして今回と、大地震がくると、私は(自分にとって…)割りと大きな金額を寄付してきました。大地震は突然やってきますから、未然に災害を防止することが非常に難しく、いつでも、誰でも、どこででも、被災者になってしまう可能性があるのです。もし今回の地震が東京で発生していたら、自分が現在の新潟の被災者の方々のような状態になっていたでしょう。それを思うと、平穏に暮らしている自分も少しは何かを犠牲にして、被災者の方々の助けにならなければという気持になります。
微力ではありますが、少しでも被災者の方々のお役に立てれば嬉しいです。
もし義援金を送りたい方がいらっしゃいましたら、こちら↓をご覧下さい。私からもご協力をお願い申し上げます。
日本赤十字社 - 義援金募集
May 25, 2007
追伸・朝ズバの根本くん
24日の15時頃、作業中にたまたまテレビの画面に目をやったら、根本くんが出ているではありませんか。TBSの情報番組みたいでしたが、取材で川越へ行ってスイーツを食べていました。根本くん、大活躍ですね。
May 13, 2007
May 11, 2007
April 17, 2007
2007年4月16日の普通の日記
今日は夜勤明けだったので14時頃に起き、それから活動を始めたのでした。予定はある程度決まっていて、国家試験の願書を貰いに巣鴨へ、そして放送大学の学生証の交付を受けるため茗荷谷へ、さらに新幹線の切符を買いに東京駅へ行き、最後に浜町か深川のプールで泳ぐというを半日でこなすのです(あと、時間があれば銀行へ寄って通帳記入、三越へ寄ってネクタイ購入というオプション付き)。
まずはバスで錦糸町へ行き、そこからJRで巣鴨へ向かいました。途中、上野を過ぎると左手方向は山がちな地形で、見上げるとお寺や墓地が続いています。谷中から西日暮里のあたりですね。子供の頃、西日暮里で電車待ちをしていたとき、線路向かいの山の上が火事になって、消防車が何台もその山を上がっていったことがありました。そのせいか、この辺にくるといつもそのときの怖い記憶がかすかに甦ります。地図を見るとそこは「道灌山」という地名がついているようなので、やはり「山」なんですね。緑も多く、昔の面影をたくさん残しているようで、機会があったら一度降りて歩いてみたいと思いました。
田端を過ぎると、山手線は京浜東北線と枝分かれしたはずなのに、山手線と併走する別のレールが隣に現れました。一瞬、「埼京線?」と思いましたが、新宿から東北本線方面へ抜ける線路のようでした。
巣鴨で願書を受け取ると、次は茗荷谷へ向かいました。普通の人なら池袋から丸の内線で行くところでしょうが、私は大塚から都02バスで茗荷谷へ向かいました。しかも、都02は電車並みに本数が多いことを見越しての選択です。大塚駅はJRの高架下に都電が通っていて、なかなか趣のある場所です。大塚を出て早稲田へ向かう方向はかなり急勾配の坂道なのですが、都電のような小さな車両でもちゃんと上っていくんですね。確か、王子の方も明治通りは坂道でしたね。土地は平坦なイメージの強い東京ですが、意外に坂道や丘みたいなところは多くあります。
唯一、残存する都電の荒川線ですが、とても絵になりますね。そして、走る音も街の一部になっていていいですね。まあ、これはなくならないでしょう。
茗荷谷でバスを降りると、筑波大学の中にある放送大学文京学習センターに向かいました。ところが、月曜日はお休みでそのまま引き返すことに…。わざと平日を選んできたのですが、逆に土日の方がよかったみたいで…。仕方がないので、その用事は改めて済ますことにして、私は丸の内線で東京駅へ向かいました。東京駅ではJR東海ツアーズで新幹線の切符を買ったのですが、あとで店員から電話がかかってきて、旅券の一部を渡し忘れたというのです。「旅行会社が旅券を渡し忘れるかよ」と思いましたが、中身を開けると、確かにおまけのドリンク券はあったけど「本体」の新幹線の件がありませんでした。アホか…。しかも、「どうしたらよいでしょう」と聞いてくるならまだしも、「取りにきていただけませんか」だって。「嫌だ」と言ったら、佐川急便で送るというので、「最悪、受け取れないと困るから郵便にしてくれ」と頼みました。郵便なら窓口へ行けば24時間受け取れますからね。でも、なぜか「確認して明日連絡します」ということに。「お前がひとっ走り郵便局へ行けば済む話じゃないのか」と思いましたが、向こうにも決まりがあるんでしょうね。それにしても、「渡し忘れた」っていう言い方が、いかにも日常的なミスみたいに聞こえるのが気に入らないのです。初歩的なミスなのに「申し訳ない」っていう意思が全く伝わってこないのですよ。旅行会社ってこんなもんなのか!?
東京駅からは東22バスで茅場町へ行き、タイミングが合えば錦11バスに乗り換えて浜町へ行こうと思いましたが、かなり待つので茅場町からは歩きで浜町のプールへ向かいました。が、しかし、休館日…。中央区のプールで月曜の休みに当たったのは初めてです。放送大学、JR東海ツアーズに続いて3敗目だー。
その後、秋26バスで白河まで行って、江東区のプールで泳ぎました。そのあとは東京都現代美術館から業10、緑3丁目で両28、亀戸駅通りで亀23とバスを乗り継いで家路につきました。ちなみに、私は都営バスの定期を持っているので、この程度のバス乗り継ぎは日常茶飯事です。電車代は節約できますが、かなり携帯を駆使しますので、通信料がそれなりにイってしまいます。マネする方は要注意です。
February 13, 2007
二輪の花
私の実家の近くの大通り沿いに、交通安全を祈願するためのお地蔵様があります。
私が小学校4年生のとき、確か日曜日だったか思いますが、同じ学年の女の子2人が、そのお地蔵様がある交差点でトラックにはねられて亡くなりました。そのお地蔵様は2人を供養するため、そして交通安全を祈願するために事故後に置かれたものです(理由は私の想像ですが、その事故後に置かれたのは確かです)。
もう26年も前のことになりますが、学校で全校生徒が黙祷したのを覚えています。葬儀後、担任の先生がその様子を話してくれたのですが、出棺前、亡くなった女の子のお母さんは狂乱状態だったそうです。先日もタレントの風見しんごさんの娘さんが不幸なことになってしまいましたが、交通事故の悲惨さ、親より先に子供が死んでしまうということのやり切れなさを改めて思い知らされた気がします。私は26年前に亡くなった2人とは面識がなかったのですが、お地蔵様を見るたびに、あの事故のことを無意識に思い出していました。
先日、実家に帰るとき、いつものようにお地蔵様の傍を通ったのですが、そのとき、初めてその存在がとても気になったのです。よく考えたら、自分は同級生でありながら、そのお地蔵様に一度も手を合わせたことがありませんでした。風見しんごさんの件で交通事故についていろいろ考えさせられていたからかもしれませんが、これも何かの縁というか、きっかけだと思ったので、ある日、二輪の花と水を買って、お地蔵様にお供えして手を合わせました。そこはちょうどコンビニがある横断歩道の真ん前なので、人通りは多いのですが、そのためにかえってお地蔵様はあまり気にされないように見えました。それでも、いつもお供えものが置いてあったりして、そのまわりは綺麗になっていました。
あれから1週間が経ち、花は風でどこかへ飛ばされたか、あっても気にされずしおれているのではないかと思いつつ、車でお地蔵様の前を通りました。すると、私がお供えした二輪の花はお地蔵様の両脇でまだちゃんと咲いていたのです。私は何だか嬉しくなりました。きっと、誰かが水を入れてくれたんです。それだけではなく、風で飛ばされたのを戻してくれたのかもしれません。コンビニは改装工事中だから、工事の人か、それとも様子を見にきた店のオーナーか。いや、親族の人かもしれないし、全然関係ない人かもしれない。まあ、それは誰でもいいけど、花に気付いてくれた人がきっといたんです。
この1週間、お地蔵様の前を通って、あの事故のこと、2人のことを少しでも思ってくれる人がいてくれたなら、私は嬉しいです。私は2人の同級生として、そしてひとりの運転者として、無謀な運転は決してしないとお地蔵様に誓いたいと思います。
January 16, 2007
福祉について考えてみる
先日、歌手の伍代夏子の活動を追った番組が放送されていました。彼女の夫、杉良太郎のファンである私はずっとその番組を見ていたのですが、私はあるシーンに胸を打たれました。
そのシーンとは、新潟県中越地震のときの映像だったのですが、彼ら夫婦が被災地に赴き、屋根に上り雪を下ろす姿、持参した食料を被災者に配る姿でした。大災害が発生するたびに、杉良太郎が救援活動をしているという話はよく聞く話なのですが、実際に行動している姿を映像で見たのは初めてでした。大災害が起きたとき、例えば義援金を送ったとしたらそれだけでも立派なことだと思いますが、彼らの行動を見ていると、やはり自分の体を動かしてこそ本当の福祉活動なんだという無言のメッセージが伝わってきました。私は彼の歌や芝居、絵画などを敬愛するだけでなく、そういう精神も含めてファンなのです。なので、彼を尊敬するだけでなく、自分も福祉の精神を持って、それを実行したいといつも思っています。しかし、それはとても難しいことで、私のやっていることは災害時に義援金を送るという程度の域をなかなか出られません。
例えば、自分が福祉施設でお手伝いをしようと思っても、どうしても不定期になってしまうでしょうから、中途半端でかえって迷惑を掛けることにもなりかねません。なので、自分の仕事を一生懸命やって、稼いだお金の一部を寄附したりする方が今の自分にはよいのかもしれません。それが、今の自分にできる福祉活動だと思います。自分のような何もできない人間が、なかなか杉良太郎先生の真似をしようと思っても無理でしょうから、できることを段階的にやっていきたいと思います。
私は今、福祉の精神を学びたくて、忍性という鎌倉時代の憎について調べています。忍性については鎌倉の極楽寺を訪れた際に初めて知ったのですが、病者を救済するために施設を作ったり加療したりして精力的に社会事業を行ったそうです。当時、らい病にかかった患者はどんな身分の者でも非人宿に追いやられ、一般社会からは隔離されていたのですが、忍性は歩けなくなった病者を背におぶって宿まで連れて行ったそうです。らい病患者と接触すれば伝染すると言われて誰も病人に近づかなかった時代、忍性は自ら体を張って救済活動をしたのです。私はその記述を、偶然、杉良太郎夫妻の福祉活動の映像を見た晩に読んだのですが、両者の精神は同じであると思いました。
いじめ、バラバラ殺人など、物騒なニュースが毎日のように聞こえてくる昨今ですが、自分を犠牲にして人に尽くすという心が少しでも備わっていればと思います。杉良太郎先生にしても忍性にしても、福祉の精神は母親から受け継がれたそうです。やはり親が子供に正しい心を教育しなければいけないんですね。また、宗教の教えは別にして、福祉活動に尽力した人についてもっとたくさん学校の教育で取り上げて、子供の精神を育ててはどうでしょうか。
December 29, 2006
神保町で締める
今週は忘年会が4日連続だったのですが、昨日がその千秋楽。大学時代からの旧友と神保町で飲みました。
以前にもここで紹介したことがあるのですが、神保町の路地裏には昭和の趣があって、東京の人同士が酒を飲みながら静かに語るにはふさわしい場所です。昨日はその中の新しいところを開拓したくて、ネットのクーポン券まで用意して店へ行ってみたのですが、あいにく年末年始の休みに入っていました。
なので、結局、行きつけの店で飲むことにしのですが、結果的にはそれが今年を締めるのに一番良いところだったと思います。入口は木でできた一枚ドア。呼び鈴を鳴らすと店員が出てきて、中へと迎えてくれます。内装は木を基調とした造りで、装飾品は昭和の懐かしい感じがするものばかり。そして、流れてくる音楽は井上陽水の「氷の世界」とか、中島みゆきの「ひとり上手」といった70年代の曲。そんな「家に帰ってきた」感じに包まれて、ナポリタンやコロッケといった懐かしい味を肴にビールを飲みました。
友達は日ハムファンで、会うのが3か月ぶりだったので、プレーオフや日本シリーズの話題で盛り上がりました。また、小笠原のFAについてどう思っているのかを聞いてみたのですが、我らがカープの場合は黒田があのような「めでたし」という形になったので、今までちょっと聞きずらかったのです。彼としては本人の意向を尊重するということで、仕方ないといった感じでした。
あとは健康問題とか、(友達の)子供のこととか、近況を話して11時頃帰りました。来年も、この町にはちょくちょく足を運びそうです。
November 05, 2006
アクセス解析
みなさん、こんにちは。
一昨日、私はこのココログに「アクセス解析」という機能があるということを知り、面白そうなので中身を覗いてみました。いやー、驚きましたね。「ここまでわかるのか」というくらい、いつどこからどうやって私のURLに飛んできたのかという記録が刻銘に記されていました。しかもアクセス者のOSやブラウザの種類までわかっちゃうんですね。
誰がアクセスしているのかまでは特定できませんが、検索サイトから飛んできたアクセスや、自分と交流のない地方からのアクセスは、私が全く知らない人である可能性が高いわけです。そして、そのようなアクセスが意外に多いことに私は驚きました。中にはリピーターの方もいらっしゃるようで、毎回ひとりごとのようなことを書いているにもかかわらず、しかも、数少ない友人関係にしかURLを教えていないにもかかわらず、恐縮です。
ちなみに、過去4か月で最もアクセス数が多かったのが、今年8月に書いた「深川車庫」。これは完全に鉄道マニア系のネタなんですけど、最近、こっち系のネタが多いので、鉄ヲタサイトと誤解されることも…。実は、私はそれほど鉄道に詳しいわけではありません。旅行に行ったりとか、地図を見たりすることが好きなので、その一環で鉄道やバスに一定の興味はありますが、深い話題にはついていけないのです。ウィキペディアでだいぶ詳しくなったというのはありますが。続いて2番目に多かったのは、1月に書いた「フィギュアスケートの音楽」。フィギュアスケートの新シーズン開始に伴って増えたのだと思いますが、内容は昨シーズンのものですので、今シーズンの音楽も早く調べて書かないといけませんね。3番目は「愛しのキャンディーズ」。これはBSで放送されたキャンディーズの特番についてと、私のキャンディーズに対する思いを書いたものです。2日前にアップしたばかりの「キャンディーズ・トレジャー」も早速アクセス数が急増しているようですが、未だに衰えないキャンディーズ人気の根強さが伺えます。
ここを開設して2年に満たないくらいなんですけど、URLを教えた友達くらいしか読んでいないつもりで書き続けてきました。アクセス解析を見ても、多分、数ヶ月まではそんな状況だったと思われるのですが、なぜか最近になって訪問者とアクセス数が急に増えているようです。これは鉄道効果なんでしょうか…!?
October 01, 2006
動物慰霊祭
今日、市川市斎場で行われた動物慰霊祭に行ってきました。
この慰霊祭は年に一度行われるのですが、たまたま実家の愛猫が前の週に亡くなったので、私にとってはこの慰霊祭がネコのお葬式となりました。初めてなので形式を知らなかったのですが、想像していた以上に立派な式典でした。会場に着くと受付があって、そこで自分の名前やペットの名前を書き、お金を支払います。会場に入ると立派な祭壇があって、100人くらいの来場者が慰霊に訪れていました。式典は冒頭に清掃局の方等の簡単な挨拶があり、そのあとはお経が読まれ、同時に参加者が順に焼香をするという段取りで行われました。お経では私の名前と我が家の愛猫の名前も読まれたのですが、今日は私ひとりで行ったので受付で自分の名前を書いたので、その名前がそのまま読まれたのです。でも、実際の飼い主は親なので、そこは親の名前にするべきでした。読まれると分かっていたらそうしたのですが、その点は失敗でした。
焼香を済ませると慰霊碑に行って、もっていった花を供えました。市川市によって火葬されたペットの骨はここに合同埋葬されるのですが、うちの子は新入りですから、慰霊祭の日に誰もこないんじゃ寂しがると思って私が参列しました。本当は母に一番きてもらいたかったと思うのですが、あいにく仕事でこれなかったので、別の日に改めてきてもらおうと思います。
わが家のネコは慰霊祭の直前に逝ってしまったわけなんですが、私たちに早く気持の区切りをつけさせてくれるためにそういう時期を選んだのかもしれません。この日、式典の挨拶に立った人も言ってましたが、亡くなったペット自身はいつまでも悲しまれることは望んでいないんですよね。
ひとまず、私ができる供養は全てしてあげられたかと思います。もしまた機会があったら、次の世代のネコを可愛がってあげたいです。
September 29, 2006
永遠の家族
うちは両親と私と弟、そしてネコの五人家族です。
9月26日、五人目の家族であり、そして私の大切な友達でもあったネコが天国へ旅立ちました。16年も生きたので立派に天命を全うしたわけですから、明るい気持で送ってあげたいと思います。
最後に会ったのは24日でした。今月に入ってから元気のなさが気になっていたのですが、24日に会ったときにはもうほとんど動けなくなっていて、その様子から、もう1週間はもたないと思いました。その日、実家から自分の家に帰るとき、「元気出してね」と声を掛けたのが結局最後になってしまいました。
26日、私は早めに仕事を切り上げて実家へ行こうと思いました。まだ会えるかもしれないけど、もしかしたらもう行ってしまったのかもしれない、そんな複雑な気持で実家に電話を掛けました。すると母が出たので、「ネコ、どうした?」と聞きました。母は急に泣き崩れたように「明け方に死んでしまった」と教えてくれました。きっと眠るように静かに息を引き取ったのでしょう。ネコは既に市役所の職員に引き取られたそうで、動物用の火葬炉で火葬し、骨は慰霊碑に合同埋葬してくれるそうです。母と私は「仕方ないね」と自分に言い聞かせるように納得して電話を切りました。メスネコでしたから、母とネコはきっと父や私や弟以上に通じ合うものがあったのでしょう。母は最後まで自分の子供のようにネコを可愛がっていました。
この日は実家には帰りませんでした。外はまるで私たち家族の心を映すかのように土砂降りの雨でした。私は家に帰ると、薄暗い部屋の中でネコのことを思いました。息を引き取ったときの様子を思い浮かべると、ぽろぽろと涙がこぼれてきました。つい最近まで抱いたりなでたりしていましたから、その感触は手に未だはっきりと残っています。16年も一緒にいると、人とかネコとかは関係なく、家族の一員なんです。そんな家族の一員を失ったと思うと、耐え難い悲しみがこみ上げてくるのでした。外は大雨でしたが、私は深川不動へ車を走らせました。車を降りるとなぜか雨は止んでいました。私はネコが無事に天国へ行けるように神様にお祈りしました。すると、雲が切れて晴れ間が覗くかのように何となく気分がすーっとしてきました。家に帰ると、外ではまた大雨が降っていました。
翌日、私はネコに花をあげるため実家に帰りました。花を買うときはいつも長い時間迷うのですが、この日は花屋で最初に目に入った白い花に決めました。ネコの毛の色に近かったからです。実家に帰り、「ネコに花をあげにきた」と言おうとしたら、また涙がこみ上げてきて、私は声が詰まりそうになりました。私はネコが最後を迎えた部屋に入り、買ってきた小さな花束をそっと台の上に添え、手を合わせました。部屋の入口には、先日私がネコのために買ってきたクッションが置いてありました。結局、ほとんど使ってもらえませんでした。もっと早く買ってあげればよかったです。帰り際、私は両親にお礼を言われ、父は「きっとネコも天国で喜んでるよ」と言ってくれました。私はまた涙が溢れそうになりました。
実家はネコがいたときと雰囲気は変わっていませんでした。姿が見えないだけで、家のどこかにネコがいるように思えるくらいでした。私は少し安心しました。みんながいつまでも悲しんでいたらネコも安心して天国に行けないですからね。今年は入院したりして体調が優れなかった父も、この日は何だか体も軽そうで顔色がよく見えました。「これならもう大丈夫」と安心してネコは旅立っていったのかもしれません。
今まで本当にありがとう。またどこかで会えるよね。天国へ行っても、キミは永遠の家族です。
September 25, 2006
無常
この土日、私は生命について考えさせられました。
土曜日、私は友人宅に招かれ、DVDを見たり食事をしたり、1歳になる娘さんの遊び相手になったりして楽しく時間を過ごしました。私はいつも子供と遊んであげるので、友人夫婦には大変感謝されるのですが、むしろ楽しいのは私の方で、別に苦でも何でもないのです。何でだか分かりませんが、私は昔から、しかも小学生の頃から、幼児に好かれるみたいなんです。自分から積極的に近づくわけではないのですが、子供が私に寄ってくるんです。20代の頃は身近に子供がいなかったので、そんな自分の特徴というか性質を忘れかけていたのですが、今回訪問した友人夫婦の子供に会ってから、やはり自分は子供に好かれるんだということを改めて認識させられました。彼らの赤ちゃんに会ったのは確か今回で3回目です。1年で3回ですから決して多くはないと思うのですが、彼らがいうには、私ほどなついているお客は親戚にもいないそうです。私の前世は保育士だったのでしょうか…。一緒にボールで遊んだり、ケーキのクリームを食べさせてあげたりすると、とても嬉しそうな顔をするのですが、そんな表情を見ていると、新しい生命の誕生の素晴らしさを感じます。
翌日、私は実家に帰りました。最近、飼い猫に元気がなくて気に掛けていたのですが、3日くらい前からご飯を食べなくなってしまったそうです。ほとんど寝たままで、声を掛けてもあまり応答してくれません。水は飲んでいるそうですが、衰弱する一方のようです。年齢が16~17歳と高齢で、人間でいえば90歳を越えるくらいに相当するそうなので、悲しいですけどそろそろ寿命も終わりに近づいているようです。あんこが好きなので、コンビニで白玉あずきを買ってきて、少しだけでも食べてくれたらと思ってあんこを指につけて差し出しましたが、食べてくれませんでした。なので、水に栄養素を含められないかとかいろいろ考えてはみたのですが、遠くを見るように目を開け、じっとして動かない猫を見ていると、何だかそっとしておいてあげた方がよい気がしてきました。私が高校生の頃からずっと家族の一員として過ごしてきました。うちは男3人女1人なので会話が少なくなりがちなのですが、猫がいるとそれだけで話題になりますから、私たち家族にとってはかけがえのない存在だと思います。よく考えたら、今まで自分ばっかり世話になって、自分は彼女に何もしてあげていません。これからもずっとずっと一緒にいたいけど、彼女にだって決められた運命があるわけですから、いつまでも私たちのために家にいるわけにもいきません。とても悲しいけど、旅立つときがきたら「今まで本当にありがとう」といって笑顔で送り出してあげたいと思います(といいつつ、書きながら涙が止まりません)。
私は35歳なのですが、昨年くらいから周りで「子供が生まれた」という話題をとても多く耳にします。その一方で、亡くなる方のニュースもこれからだんだん多くなると思います。私は、そんな生命のサイクルをちょうど客観的に見ることができる年齢にいるわけですが、そんなことを考えていると「無常」という言葉に辿りつきます。生きる者は最後は死んでしまうのです。ただ、確かにそうなんですけど、終わりがあるからこそ生きている間が面白いと思うのです。野球が9回で終わらないで永遠に続いたら、サヨナラゲームという感動もないわけですからね。限りある生命をそんな風に前向きに考えてみたいと思っている30代半ばの私です。
September 11, 2006
試験
昨日、家電製品エンジニア試験というのがあって、無事に受験を終えました。
この資格にはAV情報家電と生活家電の2種類があるのですが、前者は昨年取得することができました。なので今回は生活家電にチャレンジしたのですが、3月の試験で2科目中1科目合格しているので、残り1科目の受験となりました。
学生のときほどではないですけど、試験から解放される気分は良いものです。今回は1科目だけだったし、以前にひと通り勉強しているので気は楽でしたが、試験前は飲みや遊びの予定を入れず、会社から帰ったらテーブルに座って教科書を広げていました。
やってみて思ったのは、時には試験のために勉強するというのも大切なことだということです。仕事に必要な知識は誰もが普段から勉強しているかもしれませんが、試験を目指して勉強して、そして合格することによって、自分が少しでも向上したんだという自信がもてます。
次も何か目指したいと思います。
August 22, 2006
1990年3月12日の日記より
今日はちょっと変わった趣向でございます。
私は高校生の頃から不定期に日記を書いているのですが、その延長がこのブログになっているわけです。私は昔から自分が書いたものを読むことが好きでして、変な趣味ではありますが、そのことが作文を上達させました。そんな私が1990年に書いた日記がありますので、ここにデジタル化しつつ、どの程度幼稚な文だったか確かめたいと思います。1990年3月、私は大学入試に落ち続け、とうとう進路が決まらないまま高校卒業を迎えたのです。浪人の可能性が高まる中、合格発表は残り3校。ひとつは卒業式当日の午後に発表がある明治大学。そして、その翌日に法政大学の文学部と経済学部が控えていました。それでは、ノーカット、無修正でいきます。
Ⅰ 3.10編
何となくこの日を迎えてしまった。こんなまま卒業していいのか。周りはみな予備校の話ばかり。自分もそれに話を合わしていたら本当に自分も浪人しそうな気がしてきた。冗談じゃない。誰が浪人なんか…。卒業証書…いったいこの3年は何だったのだろう。一流高校に入ったと思ったら気付いたときにはこんなちっぽけな都立高校を今卒業しようとしている。でも3年のうちの後半18ヶ月は前半よりも素晴らしかったと言える自分が嬉しい。いろいろな人に会った。でも今の高校で会った人たちは一生忘れない。こんな自分と友達になってくれた赤城台高校のBoys&Girls、ありがとう。前半よりもどれだけ楽しい想いをしたことだろう。1988年9月1日。あの日から「松山東」という看板を捨ててこの学校に溶け込む決意をして転校した。だから前の学校のことは全く話さなかった。人あたりがいせいか友達はすぐにできた。積極的に自分から話していったのがよかったのか。そんなたくさんの友人たちと今この学校を卒業しようとしている。もう一生この先会わない人もいるかもしれない。この校舎にも来ることはない。あの教室であのメンバーが集まることもない。こんな重大なセレモニーに自分はこんな半端な気持ちででるなんて…。進路も決まっていないのに卒業式。5時間後の自分の姿はどうなっているのか。怖いけど楽しみもあった。気付くと卒業式は終わっていた。やがてホームルームも最後の挨拶のコールがかかる。もっと誰かと話して帰りたい…3時間後の自分の姿はどうなっているのか。学校を背にする自分は卒業どころではない。形だけ卒業した自分は渋谷で今度一緒に野球を観にいく友達と別れた。
心の中はまだ卒業できない自分が悲しい。秋葉原で昼食をとると余った時間を山手線一周で過ごした。そして御茶ノ水へ。「必ず笑って帰るぞ」そう言い聞かし明大の門を入る。ちょうど掲示するところであった。まず合格者の数を数えた。昨年より少ない。3762…ない。…また…8連敗だ……
こんなショックは初めてであった。ついに浪人の2文字が目の前にちらつき始めた。「クッソー バカヤロー」こんな悔しい思いも初めてであった。明日があるじゃないかという自分の自分に対するなぐさめもショックで落胆した気持ちをどうすることもできなかった。パソコンが…ゲームが…自由が…俺の手を離れてゆく。あの答案に書いた答はもしかしてメチャメチャなのか?つまり一年やってきたことはメチャメチャなのか?2月のはじめにあった自信はどこへ?“自分のやってきたことは無駄じゃなかった”なんてウソだったのか。家に帰りたくない。バスの中から両国予備校の寮が見えた。来年はあそことかかわるのか?今まで自分が想像していた今日の自分と今の自分にこんなギャップがあるなんて…
バカヤロー!こんなときに弱気になるなんて自分らしくもない。絶対明日は…明日は合格だ。こんなにマズイステーキは初めてであった。
以上が卒業式当日の模様を再現した日記です。最後のステーキというのは、卒業を祝って家族で食事に行ったのですが、それどころではなかったので味もわからなかったという意味です。高校生活に感謝する気持ち、そして入学試験に落ち続けたことによる絶望感がよく感じられますね。よく考えたら、スキャンして貼り付ければそれで終わったのに…。でも、18歳に戻ったつもりでこのまま続けます。
Ⅱ 3.11編
土曜の夜は不吉な思いばかり。寝たのは1時過ぎ。もう両国予備校の申込書はスタンバイOK。何故浪人がいやか?それはもう体力も精神力もすでにすり切れてなくなったからだ。浪人する連中はもう入試前からそのつもりである程度気楽に落ちて浪人するのだ。「浪人させない」と言い聞かされて全体力・精神力を今年に注いでしまった自分に今はもう何も残っていない。明日もし駄目だったときの自分はいったい何をしてかすか自分でも想像を絶するところだった。あとはない。
~あ、朝だ。ついに…。今日も昨日と同じ思いをしたらもうどうしようもない。…い…行くぞ。ついに家を出た。
「落ちても気にすることはない」なんて言われても無理であった。そうなれば大ショックを受ける自分は目に見えていた。電車に乗っていても落ちつかなかった。飯田橋が近づくと鼓動が異常に高なった。ああ…ついに着いてしまった。駅を出て歩くとこの前も来た堀の並木道。ここを毎日歩きたい…
右手には赤い中央線と堀のボート…見上げると空は一面青。東校の発表の日のように。キャンパスが見えてくると体は震えて立ち止まりたくなった。東海大高輪台の発表の日のように。ああ…どうしよう。この3年間はこの一瞬に集約されようとしている。「ええーい自分がどんなに駄目かこの目で見てこい」と自分に言い聞かせ開き直って掲示板へ。1837…あ…あった夢じゃないぞ。合格だよ。いきなり泥沼の底から天国へ上がっても実感はわかないものである。無表情の人間の集団の中で思わず笑顔になってしまった。溢れそうな涙をこらえて合格記念品をもらいに行った。そして忘れてた経済学部の発表も見ていくことにした。あ、あった。まさかのW合格である。浪人せずにすんだ。よかった。そう思うと帰りの電車の中で涙が溢れてきた。下を向いて寝たふりをしていた自分であった。そういえばキャンパスに向う途中手ぶらで固い表情で駅に向かっていた連中は落ちたのだろう。ずいぶんいた。その中で合格できた自分はやはり胸を張っていいんだろう。今夜も眠れないよ。
前日とは打って変わって、ハッピーエンドで締めることができた高校生活。自分にとっては3年間を集約したような激動の2日間だったので、おそらくその心境を残しておきたくて日記に書いたのでしょう。法政大学は2つの学部に合格してしまったのですが、英文科を希望する私と経済学部を薦める親がこのあとに対立し、ひと悶着あったのです。まあ、人生はすんなりいかないものです。結局、スポンサーには逆らえず、経済学部に入学したわけですが…。この日記を読むと、人によっては「高校生活をオーバーに捉えすぎなのではないか」と思われるかもしれません。しかし、私は中学も高校も転校しているのです。仲良くなった友達と一番楽しいときに別れ、全く違う環境へと移っていったのです。勉強の面でも、教科書が変わりますからこれもまたひと苦労。さらに、編入した高校が家から遠くて通学が大変になったりと、受験にあたっては色々ハンデを背負っていたんですね。だから逆に負けてなるものかと、不器用ながら一生懸命毎日を過ごしていたのです。
さて、読み返してみると、今書いている文章と大して代わり映えがしませんね。進歩がないということでしょうか。
August 17, 2006
写経
昨日から写経を始めました。
故あって、私は奈良の長谷寺に恩返しがしたく、来月にお礼参りに行く予定なのですが、その前に何かできることはないかと思い、見つけたのがこの「写経」です。
写経を始めるにあたり、お手本、なぞり用紙、清書用紙のセットを買うのですが、このお金が長谷寺に保管されている文化財の維持管理にあてられるそうなので、小さなことですが私も進んで協力することにしました。
一昨日、そのセットが届いたので、早速始めることにしました。写経を始めるには、まず心身を沈めて着座しなければなりません。そのためにはまず散らかっている部屋を片付けなければなりませんでしたが、家全体を一度に片付けるのは大変なので、まずは着座する部屋に絞って手をつけました。床に転がっている本は棚に戻し、埃は掃除をし、物の配置は整然とし、1時間以上かかりましたが写経をするにふさわしい部屋ができあがりました。
お香を焚き、それを机の隅に置きました。次にお手本となぞり用紙を広げ、一字ずつゆっくり薄く書かれた経文を筆でなぞっていきました。しかし、字を書いている途中でふと明日の仕事のことが頭をよぎると、その瞬間に神経集中の途切れが筆に伝わり、筆は軌道から外れ字が乱れるのです。さらに、10分もすると今度は足が痺れてきて、筆を進めるペースが急がされ、文字の乱れを誘います。
神経を集中して文字を丁寧に書き進めるのは、最初は短時間しかできません。なので、1日に書くのは5行程度にして、慣れてきたら徐々に1日の量を増やしていきたいと思います。
July 21, 2006
初めて契約を取った日
今、会社経営の本を読んでいるのですが、その中でセールスの話が出てきたのです。現在、私は技術系の仕事をしておりますが、その前は営業をやっていたのです。なので、ふと、初めて契約が取れた日のことを思い出しました。
大学時代、私は広告代理店で事務のアルバイトをしていました。その会社では広告の制作は全て外注でしたので、社員の人はほとんど営業職でした。彼らはお客さんに商品の魅力を伝えることはもちろん、相手の性格を読み、競合会社との売り込み合戦に勝たなければなりませんでした。喜ぶ姿、苦しむ姿、涙を流す姿など、私はそこでスタッフの様々な表情を見ましたが、自分にはとても務まらない職業だと思いました。私は他人と話すことが苦手でしたし、増してや「商品を買って下さい」などと人にものを頼むなど絶対に無理だと思いました。その後、私は会計事務所に就職が決まりアルバイトを辞めることになったのですが、そこの会社の人から「よかったね。これからはそういう堅い職業がいいよ」と言われたことが印象的で、今でも覚えています。
私は会計事務所に2年勤務した後、父の紹介でケーブルテレビの会社に入ることになりました。しかも、職種は営業です。大きな会社に入れるということで、職種のこだわりを捨て、苦手な世界に飛び込むことにしたのです。私は東京の西の方に配属されました。当然ながら周りは知らない人ばかり、そして土地勘も全くないところでした。入社後、私は2日間の研修を終えて、早速、フィールドに放り出されました。
私が契約を取る相手は個人宅でした。エリア内に友人、知人は全くいませんから、正にゼロからのスタートでした。会社から言われた営業手法は、各家を訪問し、「近隣のケーブル敷設工事が終わりました。工事の際はいろいろご迷惑をおかけしましたので、ご挨拶に回らせていただいております。粗品をお渡ししたいのですが。」と言ってお客さんに出てきてもらい、粗品のマグネットとパンフレット類を一緒に渡して加入を勧めるというものでした。1件目に訪問した家は今でも覚えていますが、呼び鈴を押すのに何回もためらいました。頭の中で喋る文章を何回も復習して、「よし、大丈夫」と思っても、「ちょっと待てよ」とまたためらう、そんな繰り返しでした。ようやくその気になって呼び鈴を押すと、家の人が応答してくれたので緊張しながら予定通りに用件を喋りました。すると、意外にも門まで出てきてくれて、私の話を聞いてくれました。すると、この「話を聞いてくれた」ことが何だか自信になり、次の家へ進みました。こうして1日に10件から20件程度面会していきました。途中、何度か説明を省略して、いきなり「ケーブルテレビ開局の挨拶に来ました」と言って面会を試みた家もあったのですが、家の人は外に出てきてくれませんでした。やはりそれでは「セールスにきました。出てきて下さい。」と言っているのと同じで、警戒されてしまうのです。
数日が経過し、私は未だ「エリア開拓中」という気分で仕事に取り組んでいたのですが、部長から「そろそろ出そう?」とプレッシャーをかけられ始めて、初めて「結果を出さなきゃ」という少し焦った気持になりました。でも、ノートに書いた訪問記録を見ると見込み客がゴロゴロいるのです。そこを順番に再訪すれば2、3件はすぐに取れると思いました。それに、気が付くと「自分が知らない人と話すのが苦手」という意識が全くなくなっていて、むしろ会話をすることが楽しいと思うようになっていました。他の営業マンに同行した際、意外に「自分の説明の方が易しくて分かりやすい」と思ったので、そのことも自信になりました。
エリアを回り初めて約1週間後の土曜日のことです。私はそれまでに見付けた見込み客を順番に再訪していました。が、しかし、意外なことに、初回に面会したときよりどのお客さんも明らかに反応がトーン・ダウンしているのです。人によっては玄関の扉も開けてくれません。「なぜだ」とショックを受けながら、契約を取らなければいけないプレッシャーに背中を押され、さらに訪問を続けましたが、いくら回っても結果は同じ。人はその気がなくても、相手にいい顔をしてしまうのです。相手を傷付けたくないからなんでしょうね。愚かな私はそんなことをこのとき初めて知ったのです。土曜、日曜は営業マンにとってはかきいれどきです。しかし、私はこの日契約を取ることができませんでした。
その次の日。ノートに書き記された大量の見込み客、しかし、実際は見込み客ではなかったのです。行き場を失った私は、再び、エリア開拓を再開しました。1件1件順番に訪問し、マグネットとパンフレットを配るのです。ところで、未経験かつ自信も全くなかった私が、あっという間に営業職に溶け込むことができたのは、GM(ゼネラル・マネージャー)に言われたことが大きな自信になったからです。それは、「営業マンは喋るのが上手い人が優秀だとは限らないんだ。無口で口下手でも契約をたくさん取ってくる人はいる。喋りじゃない。相手の懐に飛び込むことができるかなんだ。人はそれぞれ性格が違うんだから、自分に合った方法で相手にぶつかっていきなさい。」と言われたことです。今、こうして書いていても、なんて素晴らしい助言なんだろうと感動してしまいます。さて、エリア開拓を再開した私ですが、見込み客が全滅した以上、この日に契約を取るには初めて会った人に即決してもらうしかありません。営業初心者には至難の業です。そして日は暮れて、気が付くと時計は夜の8時を指そうとしていました。このときは夏でしたので、夜でも窓を開けている家が多く、雰囲気が開放的でしたから、夜間でもセールスに回ることができました。「何としても今日は契約を取るんだ」、私は気合を入れ直し、訪問を続けました。
そして、ある一軒屋に挨拶に伺ったところ、ちょうど家の玄関が開いていたので、そのまま中に入れてくれました。すると、壁には広島の江藤のポスターが貼ってありました。私は商品の話はそこそこに、ポスターのことを尋ねました。「私は広島ファンなんですけど、江藤選手のファンなんですか」。すると、その家の奥さんが「息子が関東高校で江藤君と一緒に野球部だったんです」と答えてくれました。そして、次々と家の人が出てきて、「ケーブルテレビ?」と興味津々な表情でパンフレットを覗き込んできました。私は自分の得意分野である野球をネタに、「試合がたくさん見れるようになりますよ」とケーブルテレビのある楽しい生活を語りました。このお客さんは遅かれ早かれ自分からケーブルテレビを契約したかもしれませんが、運良く、この日、私が契約を取ることができました。契約第1号です。お客さんの家を出るとき、もう9時近くになっていました。会社に戻ると、数人の仲間が待っていてくれて、「どう、取れた?」と聞いてきたので、私は「1件だけ」と照れながら答えました。すると、「おめでとう」と笑顔で祝福してくれたので、とても嬉しかったことを昨日のことのように覚えています。
そして翌月、私はデビュー2か月目で何と契約数1位を獲得しました。その後、私は営業職を約3年間続けましたが、そのときの経験はかけがえのないもので、現在の私を支えている大きな要素のひとつです。私はその第一歩である契約第1号のことを一生忘れないと思います。
最後に、GMの印象的なお言葉をもうひとつ。ミーティングのときだったのですが、GMが「Y君、君は以前、自動車を売っていたそうだけど、自動車を売るのとケーブルテレビを売るのは違うか?」と聞きました。私は、商品による売り方の違いを説明したいのだと思いましたが、Yさんは「いいえ、同じです。」と答えました。予想外な答えに私はそのあとの展開が分からなくなりましたが、GMは続けました。「そうだな。我々はお客さんにものを売ってるんじゃないんだな。Y君だったらY君という人をお客さんに売ってるんだ。だから商品が何であろうと一緒なんだ。」と。
March 28, 2006
桜の季節
3月も終わりに近づき、すっかり陽気も良くなって、いよいよ春です。
今朝は会社まで歩いて通勤してみました。いつもはバスを使っているのですが、少し早く家を出て、春の日差しを浴びながら、桜並木の公園を歩いて約30分の散歩を楽しみました。江東区には親水公園がいくつかあるのですが、自宅から会社までの間には横十間川親水公園があって、そこを抜けていくとほとんど道路を歩かなくて済みます。水路に沿って歩道が続いているのですが、歩道はビルや道路よりも低いところにあるので、大通りを横断する箇所は橋の下をくぐっていきます。そのため、信号に邪魔されることなく、延々と緑道を歩いていけるのです。都心の近くに住んでいて、会社も同じようなところにあるというのに、まるで郊外の休日のような気分を通勤時に味わえるなんて、なんて素晴らしいことなんでしょう。そこを歩いていると日常の感覚が飛んでしまって、方向感覚の良い私でさえどこを歩いているのかわからなくなってしまいます。今週は毎日お花見です。
February 02, 2006
仕事の道具
新しい職場に移って約2か月が経とうとしています。最初は空だった机の中も、ようやく文房具やファイルが整然と並ぶようになりました。
文房具は欲しいものを言えば揃えてもらえるとは思うのですが、時間がかかりそうだし、頼むのも面倒なのでほとんど自分で買ってしまいました。穴あけパンチ、ホッチキス、カラーマーカーペン、はさみ、のり、カッター、ファイル、インデックスシール、付箋紙、電源の延長コード、ネームランドのテープ、全て自前です。
自分が快適に仕事をするための道具は、1日でも早く、自腹を切ってでも揃えるべきですね。それは書類の整理をするためなんですけど、書類の整理は最初が肝心です。最初が全てです。乱れ始めると元に戻すのが本当に大変です。
その怖さを私は知りすぎているほどよく知っているので、書類が少量のうちに自分の中で秩序を決め、美しく保管するよう心がけています。大きな分類はファイルで分けて、小さな分類はファイルの中でインデックス分け。さらにファイルやインデックスのタイトルは全て印字したテープで綺麗に仕上げます。
整理の状態が良いと仕事が楽しくなるし、頭の中も常に整理された状態になります。そして欲しい書類は欲しいときにすぐ出てきます。そのような快適ビジネス・ライフを過ごせるかどうかは、最初に時間をかけて整理するかしないかにかかっています。
決して大袈裟だとは思いません。とにかく最初が全てだと思いますので、1万円かけてでもお気に入り文房具を揃えるべきです。マイ・グッズなら愛着も沸くし大事に使うので、仕事に対しても接し方が丁寧になります。例えば、ホッチキスは1,000円以上もする平らに止められるタイプを買ったのですが、高いホッチキスで止めた書類は質感が上がりますよね。自分の書類を綴じるファイルも自分で買えば好きなカラーに統一できて、引き出しを開けたときに気持がよくなります。
元々私はこのようなことにこだわるタイプなんですが、近年、面倒なのと大して意味がないと思う気持から、身の回りは雑然とした状態で仕事をしていました。最初のうちは情報処理が頭の中だけで片付けられるのでよいのですが、時間が経つにつれて収集がつかなくなり、効率は目に見えて落ちていきます。
あるとき、私はそれを直したいと思いました。前の会社の最後の頃です。外部の業者の人と打合せをしていたのですが、その人はある展示会で集めた資料をファイルに収納していて、会議の途中で欲しい情報があるとそのファイルをすっと開き、客である私たちに差し出して見せてくれました。そのファイルの中身は項目ごとに分類されていて、インデックスは見やすいように全てテプラで貼ってありました。私はそのファイルに一目惚れをしたような感覚に陥りました。そこまで綺麗にする必要はないかもしれませんが、でも、その人の仕事の質を垣間見た気がしました。そして、自分もそうありたい、そんな几帳面な自分に戻りたいと思いました。
文房具なんて少々高級なものを買っても金額は知れています。それで気分と仕事の効率が変わるのなら、1万でも2万でも払うべきです。もし、仕事場の身の回りの整理で悩んでいる人がいたら、是非立ち止まってマイ・グッズを買って整理してみて下さい。私は今、自分の会社の机が好きです。仕事も楽しいです。これを読んで下さっている皆様には私みたいな失敗をして欲しくないのです。
January 29, 2006
January 22, 2006
January 12, 2006
ただいま
私が社会人になったのは1994年なんですが、そのときに勤務していた場所は築地でした。自宅から45分程度で通えて、築地の市場が近くにあって、銀座まで歩いて行けて、今思えば大変理想的な環境でした。
市場が近いので、昼食はいつも美味しいものを食べていました。晴れた日は銀座へランチを食べに行ったりもしました。仕事が終わったら、歩いて三越や山野楽器へ寄り道もできました。帰り道、気が向いたら隅田川を渡って月島経由で門前仲町まで歩いたりもしました。築地には2年間勤務しましたが、その頃から中央区や江東区がとても気に入って、いつかの日か住んで見たいと思うようになりました。
その後、転職したり転勤があったりして、東京の市部や千葉、横浜と渡り歩いて、都心勤務からは約9年間離れることになります。私は2年前から江東区に住んでいるのですが、何の因果か、先月から近所の会社に勤めることになり、久しぶりに勤務地を元の東京に戻すことができました。
昨日、仕事で築地へ行きました。現地調査だったのですが、久しぶりに電通のビル周辺を歩いたのです。築地に勤めていた頃、食事や買い物に出たときに歩いていた道です。職種は違うけど、またここで仕事ができるんだということが嬉しくてたまらない気持になりました。事務所に帰るとき、月島から門前仲町に向かって清澄通りを車で走っていたのですが、その風景を見ながら東京へ戻ってきた実感を噛み締めました。明日は銀座へ行くのですが、また楽しみです。
私はどうも一箇所でじっとしていることができない性分のようなので、この先、もしかしたら今の環境を捨ててでも、違うところへ飛び出してしまうかもしれません。でも、できるだけ長く今みたいな時間が続いて欲しいと願っています。
December 31, 2005
今年最後の記事
今年最後に、自分の5大ニュースを綴ってみました。
今年、記事を読んでいただいた皆様、どうもありがとう。
来年もたくさん映画を観て、コンサートへ行って、野球観て、スケート観て、たくさん記事を書きたいと思います。
5位 風邪をひく
3、4年ぶりだと思いますが、風邪をひいてしまいました。5月のことです。なかなか治らず、苦しみました。
4位 17年ぶりに松山へ
9月に松山に行ってきました。17年ぶりということで大変感慨深かったのですが、このとき私は既に会社を辞めることを決めていて、旅行後に始まる退社~入社の動きに向けて充電してきました。
3位 フィギュアスケート観戦
生まれて初めてフィギュアスケートを観戦しました。生真央も生ミキティも、テレビで観るそのままでした。視覚的な印象も強かったのですが、滑ったり、ジャンプして着地したときに聞こえる氷の音が一番心に残っています。
2位 京へ
6月に2泊3日で京都へ行きました。前年は一度も旅行に行けなかったので、半ば強引に休暇を取って行ってきました。日常の緊張感から解放され、自然体な自分に戻ることができました。この気分転換が会社を辞めようと思う第一歩となりました。
1位 会社移籍
12月に会社を移籍しました。この決断を期に、資格試験に合格したり、他にも運気が好転。
ありがとう、2005年。
来年もいいことがたくさんありますように。
December 30, 2005
年賀状
最近はパソコンで作った年賀状が増えています。
そういう自分も、1995年くらいから昨年までずっとパソコンで作ってきました。始めた当初は今ほどパソコンが普及していませんでしたから、それほどありきたりな感じはしませんでした。でも、ここ数年は受け取る年賀状も8割~9割はパソコンで作られていますから、見ていて面白くありません。
なので、今回私は趣向を変えることにして、宛名は手書き、裏面はプリントショップに外注することにしました。宛名は筆で書いたのですが、普段、筆はほとんど使わないので、あまり綺麗には書けませんでした。でも、プリンタで印字された味気ない年賀状よりは手作り感があって良いと思ってます。一方の裏面は、来年が戌年ということでスヌーピーの柄にしました。年賀状をパソコンで作るという世の流れは今後も止まりそうもないので、私は逆に来年以降もパソコンを使わないで作り続けたいと思います。
そういえば、パソコンで作り始める前はどうやって作っていたのでしょう。当然、宛名は手書きですが、裏をどうやって作っていたのか思い出せません。ワープロでも使ってたのかな…(本当に思い出せません)。
October 20, 2005
今年最高のお言葉
チャンスは、自分の手で掴みに行く。
掴んだチャンスは、絶対に放さない。
人に掴まされたチャンスは、必ず手からこぼれていく。
このお言葉は、杉良太郎先生があるテレビ番組で語ったご自分の教訓です。8月、友人がその番組を録画したビデオを私にくれたのですが、何気なく聞いたこのお言葉がすごく印象に残って、心の中に深く刻まれました。
このとき、私はあるチャンスのカードを握っていました。それは、地元である東京の会社に移籍するチャンスです。会社を移るということは、当然、現在勤めている会社を辞めるということを意味しています。新しいところへ行きたいけど、現在の仲間たちに別れを告げるのも辛いところです。
焦る必要はないけど、本気でものにしたいと思ったら即行動に移すべきです。私は、杉良太郎先生があのお言葉を語られていたシーンを何度も頭の中で再生しました。すると、迷うことは何もありませんでした。私は自分の中で決断を下し、その後はとんとん拍子に事が運んでいきました。
新しい会社から内定をもらうと、不思議なことに、申し込んで1年以上待っていた団地の駐車場に空きが出たという知らせを受けました。会社が東京になったと思ったら、自動車も実家の行徳から東京にもってこれるようになりました。
ひとつの積極的な行動が他のことにも良い作用をもたらしているようで、なにか自分に勢いを感じてきました。迷ったり悩んだりしていると、その時間がもったいないんですね。どんどん行動して、失敗したらすぐ次の行動を取ればよいのです。
杉良太郎先生、ありがとうございました。そして、偶然この番組を見ていて録画してくれた友人にも感謝。
September 17, 2005
休日の東京
休日の東京はとても穏やかです。
都バスに乗って窓の外に目をやると、オフィス・ビルには人気がなく、行き交う車も時間に追われる様子がありません。外を歩くと、目の前をとんぼが横切りました。それを目で追うと、視界は澄みきった青空に導かれ、夏から秋への季節の移り変りを知らされたのでした。
こんな晴れた休日は、東京の郊外で木々に囲まれて過ごすのもよいものです。私はそれと同じくらい、近所の街並を見たり空気を吸ったりすることでいい気持になれます。
新しい季節の始まりです。
May 28, 2005
カステラくれたひと
今日は休日出勤だったのですが、昼過ぎに仕事を切り上げ、家に着いたのは15時30分くらいでした。
最近は自宅の砂町から日本橋までバイクで行って、そこから地下鉄に乗って会社へ行く習慣が定着しているので、この日もバイクで家に帰ってきました。
家は団地の2階。バイクは家の前に置いているので、2階までは乗り物用のスロープを通って上がります。2階まで上がって建物に入る手前でエンジンを切り、家の前までバイクを押してきて、いつもの位置に置きました。
すると、そこで遊んでいた4、5歳の兄妹が私に寄ってきて、
「ねえ、前、カステラくれたひと?」と話しかけてきました。私はヘルメットを取り、
「カステラ?」と尋ね返しました。
直後、私はそのカステラがここに引っ越してきたとき、お隣に挨拶に伺った際に渡したものであることに気が付きました。
「ああ、ここに引っ越してきたときだね…。」そう答えると、おねえちゃんがバイクの椅子をさわりながら、
「ねえ、このなかにヘルメットはいるの?」と聞いてきて、続いてその後を追うように男の子が、
「ねえねえ、みて」とおもちゃの携帯電話らしきものを私に差し向けました。
一瞬、私はどっちを先に相手にするべきか迷いましたが、バイクの椅子を開けて見せ、おねえちゃんに
「ここに入るよ」と言って実際にヘルメットを入れて見せました。そしてすぐ、男の子の方にも
「それ、なあに?」と聞いて会話を続けました。
おねえちゃんの方はバイクの椅子の下のスペースが気になるらしく、
「どうやって開けるの?」と聞いてきたので、私は鍵を差し、右に回してもう一度椅子を開けてみせました。
すると今度は自分でもやってみたいのか、バイクに差したままの鍵を手で触って動かそうとしていました。
「右に回してみな」私はおねえちゃんに自分の手で椅子を開けさせてあげようとしました。
すると男の子もバイクに興味が移ったようで、おねえちゃんと同様、バイクの鍵のところに近づいてきました。
椅子を開けるには鍵を少々強くひねらないと回りません。おねえちゃんも男の子も何度かやってみたのですが、まだ鍵を開けるだけの力はないようで、私が手を添えて一緒に開けてあげました。すると、おねえちゃんがおもちゃの携帯電話を中に入れて、椅子を閉めました。そして、椅子の中に自分の物をしまうことができて満足なのか、とても嬉しそうな顔をして私の方を見上げました。
「取れなくなっちゃうよ」と、私は再び椅子を開けておねえちゃんに携帯電話を返しました。
そのとき、離れたところからおねえちゃんと男の子を呼ぶ別の子供の声がしました。二人とも呼ばれた方へ行くようだったので、私は
「バイバイ」と手を振ると、ふたりも
「バイバイ」と言ってその場を去りました。
ここに引っ越してきてから1年半経ちますが、自分が昼間いないこともあって、団地の住人と会話をしたことはほとんどありませんでした。それが、今日みたいなひょんなことから小さな子供と知り合うとは夢にも思いませんでした。おねえちゃんと男の子の中で、今日まで私は「カステラをくれた人」だったのでしょう。今日からは「バイクの人」にでもなったのでしょうか。
昨今の日本では、隣に住んでいる人の顔も知らないのが普通なんてことをよく耳にします。正に自分もそうなんですけど、つまらない反面、その方が楽でもあるわけです。でも、例え子供でも今日みたいに知り合ってみると、次に顔を合わせるのが楽しみだったりします。そんな単純で純粋な気持ちを、子供たちが教えてくれました。
あの子たち、また寄ってきてれるかな。
May 09, 2005
母の日
5月8日は母の日でした。
毎年、ほとんど意識にはないのですが、5月に入る少し前くらいから花屋やデパートではギフト商品が並ぶので、それを見るともうすぐ母の日であることに気付かされます。
最近はよく自宅用に植物を買うので、フラワーショップでの買い物には比較的慣れています。そんなこともあって、今年はどっかの行きつけの花屋で何か買ってあげようと考えていました。
花を買いに行ったのは母の日当日の夕方でした。最初に近所の2件を回ったのですが、適当な品がなかったので買うのを見送りました。カーネーションの切り花はいろいろバリエーションがあったのですが、欲しかった鉢植えの方は値段が高かったり、気に入った色がありませんでした。
3件目の花屋へ行くと、カーネーションの他にアジサイの鉢植えがたくさん置いてありました。カーネーションもありきたりなので、青いアジサイで、これから咲くつぼみを持った鉢を選んで買いました。
実家へ帰ると、すぐに買ってきたアジサイを母に渡しました。どうやら誰からも花をもらっていなかったらしく、予期せぬ贈り物にとても喜んでもらえたみたいでした。表情や言葉より、心の中ではもっと喜んでいることが分かりました。
花はいろいろ迷ったけど、そんなことはどうでもよかったのです。贈り物は気持ちだなーと改めて思いました。





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